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 ニュース(海外)
   「コフィ・アナン氏死去(元事務総長80歳)」2018/08/18

「コフィ・アナン氏死去(元事務総長80歳)」また、ゆかりのある人が逝った。
ガーナ出身のアナン氏は、黒人で初めて一線の職員からトップに上り詰め、事務総長を2期務めた。2001年には国連改革と人権保護への貢献が評価され、国連とともにノーベル平和賞を受賞。03年に始まった米国主導のイラク攻撃には一貫して反対した。2006年12月に国連事務総長を引退した。
   アナン氏はその際スピーチで近年の国連を無視するアメリカの覇権主義的行動を批判し、アメリカが国連を重視した多国間主義に回帰することを望む声明を発表した。にもかかわらず、米大統領経験者らも相次いでアナン氏に賛辞を贈った。ブッシュ(子)元大統領がアナン氏について「穏やかな人柄で、国連の精力的なリーダーだった」と振り返ったほか、前大統領のオバマ氏も「国連の使命を体現した外交官であり、そして人道主義者だった」と語った。2006年~2007、「JICA案件・ガーナ地場産業活性化プロジェクト」で現地にいた時、一般のガーナ人にとって現大統領より人気があったのを改めて思い出した。
  【思い出の一枚】20180820 

【思い出の一枚】「ギニア出身のタレント、オスマン・サンコン(69)が、グラビア演歌歌手の北山みつき(50)と10月に結婚する」という今日のテレビニュースで分かった。ギニアは一夫多妻制でサンコンはほかに2人の妻がおり、北山は第3夫人となる。
   

ギニアでは4人まで妻が認められているが、国際結婚の場合は多重婚にあたるため、北山がギニア国籍を取得することが必要となった。現在、申請しており、手続きが終了する10月に挙式する予定という。2人はすでに同居している。実は、およそ20年前、所属していた団体が展示会に出典、その時、サンコンが来訪、貴重なツーショットが残っていた。私の頭はすっかり薄くなったが、彼の顔・体型はほとんど変わっていないのは驚きだ。

  【クロアチア ワールドカップ 準優勝】2018/07/16

【クロアチア ワールドカップ 準優勝】クロアチアは人口約420万人の小国の大健闘に歓喜。首都ザグレブでは街頭に繰り出した人々が花火やクラクションなどで夜通り祝った。その5%に当たる約20万人が首都ザグレブの広場に集結。同メディアによると、空港から広場まで、約30万人のファンが選手の凱旋パレードを見るため集まっていたようだ。(写真参照)
   準優勝は、クロアチアにとってワールドカップにおける最高成績だ。「ヒーローを歓迎」、「クロアチア代表は決勝戦で敗れたが、クロアチア人は気にしなかった」と報道。17年前(2001年)、JPC(日本生産性本部)の委託で、同国スプリットで仕事行く途中、ザグレブを訪問。旧ユーゴスラビアの崩壊を受けて、1991年独立。以来、バルカン半島ではセルビア、ボスニア・ヘルツエゴビナとの民族・国境紛争があった。今でも多くの問題を抱えるが、逞しい人々、美味しい魚介類、豊富な観光地が今蘇える。(写真・2001年)
  【ベルギー3位・ワールドカップ・ロシア2018】 2018/07/16

 【ベルギー3位・ワールドカップ・ロシア2018】 「レッドデビル(赤い悪魔)」の異名を持つサッカー・ベルギー代表は、前評判通りの強さで勝ち上がり。一次リーグ パナマ戦で3得点、チユニジア戦で5得点、決勝トーナメント1回戦日本戦3得点、さらに3位決定戦でも3得点でイングランドを下し堂々の3位。
   同国家電量販大手K社は、「16ゴール以上決めたら、一部テレビの代金を全額返金する」キャンペーンで計16得点の約束を実施する羽目に。(だが、返金による損失は英国の保険会社によって保障されるという)日本戦他全ゲームで試合巧者ぶりが光ったベルギー。10年前、夫婦でブリュッセル、ブルージュなどの訪問地、豊富なビールなどを懐かしく思い出した。
  【台北生まれ変わる「昭和町」】2018/07/12

 過日、朝日新聞朝刊に【台北生まれ変わる「昭和町」】という記事が目に止まった。‟日本が台湾を植民地統治した頃、台北に「昭和町」と呼ばれた地区があった。今、古い日本家屋が次々と改修され、茶館や画廊などに生まれ変わっている„という。
随分前に亡くなった私の父は、国鉄、満州鉄道と同じ台湾鉄道の職員だった。台北駅長時代、1947年日本に引き上げるまで台北駅に近い建成町という「日本人街」で暮らしていた。私も「湾生」と呼ばれる台湾生まれだ。
  近隣の青田街や温州街一帯は確か「昭和町」と呼ばれていた。内地から来た教育関係者や総督府の官吏らの住居となっていた。40年前、S社現役時代、代理店の年配台湾人に以前住んでいた日本人街に連れて行ってもらったことがあった。私が生まれ幼年時代を過ごした思い出の官舎は、さすがに古びて朽ち果て、人が住んでいる気配はなかったが、昔のままに残っていた。正直言って、感動と感激したことを思い出した。それが今回紹介された、改修され新しく蘇った「昭和町」であると思われる。幼いころ暮らした台北の家が新しい時代に生まれ変わり感無量である。2年前、旅行した際は訪問する機会がなかったが、今度改めて訪れてみたいと思う。