連携2

連携2

濱ゼミ

 

【プロフィール】物理化学・分子分光学。薬学博士、放送大学名誉教授。1944年神奈川県に生まれる。1973年東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了。1976年東京大学薬学部助手。1991年放送大学教養学部助教授。2004年同大学教授。2015年同大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)『科学の考え方論理・作法・技術 放送大学叢書』より

 

放送大学・元副学長、神奈川学習センター・元所長、現放送大学学生が不定期の発行するエッセイを転記しています。本稿の「心を見直す」「心を清める」に最適と考え、掲載します。(以下抜粋、全文掲載

 

Yさんの「あの世との通信」に関する“告白記事”を伝え聞いた落冠老者と被冠若者が、あの世の実在性あるいは不在性に対して議論した記録を手にしたので、それを紹介することにしよう。これもYさんが夢うつつに、浮かんでは消え、消えては浮かぶ想念を何とか辻褄合わせして、Yさんが纏めたものである。邯鄲の夢のような話なので、落冠老者を呂翁、被冠若者を盧生と呼ぶことにしよう。

 

−−−−− あの世との交信は不可能? −−−−−
盧: Yさんの夢うつつに出現したという、死んだ夫と生きている妻の会話というのは如何にもこじ付けで信用できませんよね、ご老人。
呂: 多少脚色はあるけれど、Y氏があのような想念を抱いたことは、事実だろうし、信じてやってもいいのではないかな、お若いの。
盧: あれはあくまで、脳の衰えたYさんの妄想である事は確かですよ。死んだ人と生きている人が会話を交わすことは、現実にはあり得ないですよ。もし、天からの声がしたのなら、声というのは音波で、空気の疎密波だから、特定の人だけ聞こえるというのは、そもそもおかしい。Yさんは科学もやっていたと言いながら、あのような非科学的な荒唐無稽なことを考えるなんて、もう完全に頭がおかしくなっている証拠ですね。
呂: まあまあ、そんなに頭ごなしに否定すると、Y氏も興奮して目を覚ましてしまうから、もう少し、夢うつつのいい気分にさせてあげた方がいいのじゃないかな。われわれも、Y氏が目をさましたら消えてしまわなければならない訳だから。
盧: ウーーン、仕方ありませんね。でも、科学は確実な根拠に基づいて、正しい論理を駆使して、未知のことを明らかにするのが真髄で、そのために議論は重要だと、Yさんは普段から偉そうに話しているわけですから。間違いは間違いと指摘すべきでしょう。
呂: もちろんそれはそうだ。Y氏も自分の意見を否定されたからといって、すぐに怒り出すということはないと思うよ。結構、我慢強いと自認している節もある。放送大学の学歌の2番にある「知は力」というのは、フランシス・ベーコンのラテン語の言葉、「scientia est potentia」から来ているとY氏は何時も言っていたのを思い出した。これを現在の英語に直せば「science is power」で、結局、“scientia”が日本語の科学の語源になった訳じゃが、“scientia”とは“to know”であり、本来、知るということ。科学とは真実を知るという意味が基本にある。科学者こそ、自分はまだ十分知っていないことを自覚しているはずで、だからこそ、知るべく努力するというのが本義じゃ。科学は常に正しい、すべてを解明できるなどと言うのは、本当の科学者ではないことにもなる。Yさんの考えを否定するのも構わないと思うが、説得できる理由も言わないとな。(以下略)

2018年10月6〜7日の夜に夢うつつで頭に浮かび、その後も数度、夢見た内容に多少の脚色をつけた物語です。(2019_02_09記)

漫画の「3丁目の夕日」に描かれたような街角の外灯の下。勤め帰りの女性が、ふと立ち止まり、亡くなった夫の声に呼び掛けられる:
1−−−−− あの世(天国)はどこにある −−−−−
あの世との交信
● 聞こえる? 僕だよ。
〇 ええ、はっきりと私の心に響いているわよ。初めはびっくりしたけど、この間から、この時間を楽しみにしているの。
● それは有難い。僕がそちらの世界からこちらに移って、半年余りだけど、僕はすっかりこちらの世界に慣れて、生活を満喫していることを伝えたかったんだよ。
〇 わかります。私もあなたが逝って半年近くは塞ぐことが多かったけれど、最近、新しい勤め先も見つかって、職場では元気にやってますよ。新しい友達もできたし。どうぞ、ご心配なく。でもどうして、こういう風に、違う世界の間で交信できるのかしら。
● それは、僕にもわからないけど、いわゆる二人の思いが一致したとき、今、僕たちのことを夢見ている、この人(夢を見ている私のことを指している)の脳の活動の隙間の部分を使って、夢の形で交信ができているのかもしれないね。だって、僕たちのことは、この人は本来知らないはずなんだから。でも、どうも時々、僕のことを自分と重ね合わせてしまっているようなので、自分の世界の経験や思いを脚色しているような感じで、僕たちの存在や会話の時間を提供しているのかもしれないね。
〇 理由はともかく、こうして、別々の世界に別れてしまったけれど、以前のようにいろいろお話しできるルートができて嬉しいわ。
 …… 数分の立ち話で、最近の状況を互いに伝えあう二人であった。 ……
〇 それじゃあ、今日はこれで失礼しますね。これから夕飯のカレーを作るつもりです。
● うん、君のカレーは独特の味があったね。それが食べられないのは残念だけど、味を思い出すことはできるよ。では、お休み。
〇 お休みなさい。

忙と忘
 歳を取ると時間が速く過ぎるように感じる。どうしてだろう。
 人生の営みが長くなると、たくさんの世間のしがらみに囲まれる。
 自分の心を顧みることが少なくなり、纏わりついた雑事のやり繰りに「忙」しい。
   「忙」とは(自分の)心を亡くした状態をいう。
 雑念に心を砕いているから、大切なものを「忘」れる。
   「忘」とは、やはり心を亡くした状態をいう。
 時々、目を覚ます「自分の心」に、失われた時間が投影する。
   だから、時間が速く過ぎてしまったと感じるのだ。
 大切な自分の心と向き合い、ゆったりとした時間を過ごそうではないか。

 

           寄り道
 頭のいい人は、先がよく見えるけれど、早とちりすることがある。
   道の両側に咲く可憐な花や風景、人の営みを顧みることがない。
   でも、そこには懐かしい香りや風のそよぎ、人の温もりがある。
 人生の道も同じだ。急ぐことはない。
   なぜって、最後の行先は墓場だもの 何も急ぐことはない。
   ゆっくり行った方が、楽しみが多いだろうし、
   時々寄り道をすれば、新たな宝の発見もあるだろう。

 

           自分の知らない自分
 自分の事は自分が一番よく知っている?
   いえいえ、自分が知っていない自分というものがあるようです。
 私は私の顔を見たことはない。見えないのです。
 鏡や写真を通して、自分の顔を見ることはあります。
   でも、これは自分の目で直接見たものではありません。

 

 同じように、自分の知らない自分、自分の心があります。
   では、どのようにして自分の知らない自分を知ることができるのでしょうか。
 それは、顔を覗く鏡のように、他人の心に映る像を通じて自分を知るのです。
 他人が自分をどのように感じているのか、思っているのか。

 

 鏡はたくさんあります。映り方もそれぞれです。
 なるべく、よく映っていてほしいものです。
   だから、いい友達をたくさん作りましょう。
   そして、素晴らしい自分を友達の中に育ててもらいましょう。

 

参考: 「… いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。頭の悪い人足ののろい人がずっとあとからおくれて来てわけもなくそのだいじな宝物を拾って行く場合がある。
 頭のいい人は、言わば富士のすそ野まで来て、そこから頂上をながめただけで、それで富士の全体をのみ込んで東京へ引き返すという心配がある。富士はやはり登ってみなければわからない。…」   :「寺田寅彦随筆集」より
                           2019_10_06 (日)曇り

 

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