連携

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連携『雲水記』

 

【はじめに】1986年(約30年前)、某電気メーカ(東京・本社)の同じ部署で本編主人公・雲水氏と働いていました。私がタイ工場にオデイオ・テープ生産導入プロジェクト・マネジャーをしていた時、日本側キャッチーとしてご支援・ご協力頂きました。その後、氏はタイに駐在、現地でも公私においてお世話になった戦友です。お互い退職後も、インターネットで繋がっています。本編は氏の人柄、品格を滲ませるエピソード、交流などのお話です。当会のキーワード;海外、仲間、交流、連携にピッタリなので、掲載をお願いしましたら快諾を得ました。抜粋 (全文掲載

 

 

 

 

雲水氏プロフィール】
これは20世紀最後から21世紀初めまでの10年弱を日系某電気メーカー現地法人駐在員としてタイ王国バンコク都で生活した行雲流水氏(以下、雲水氏と略記する)が酒を酌み交わしながら語ってくれたバカマジメ話である。氏は現在はサラリーマン生活を卒業して実家がある日本にいて毎日行く雲、流れる水をながめながらかすみを喰い少々の酒を飲み日本の更なる繁栄と世界の平和を願いながら仙人がごとき生活をしている。自称、自由人・自然処士&風来坊。時々雲隠れして音信不通になるがタイの隠し子(達)に会いに行くらしい。

 行雲流水氏の真面目なバカマジメ話 #136 

これは「一国二制度」はやはり続かなかった
時は1997年7月1日。香港時間午前零時(日本時間午前1時、そしてタイ国は6月30日午後11時)英国国歌演奏とともにゆっくりと“ユニオンジャック”が降ろされる。“東方紅”が高らかに鳴り響き“五星紅旗”が掲揚される。150年以上に及ぶ英国統治が終わった香港で英国国旗が降ろされるのを見守った最後の香港提督クリストファー・バッテン卿がクルーザーヨットに乗って香港島を離れる。そして人民解放軍が香港島に進駐してくる。こうして英国の植民地、香港が中華人民共和国に返還すなわち主権移譲された。バンコクのアパートでソファーにひっくり返り、テレビの中継を酔眼で見ていた雲水氏の記憶に残っていた香港返還式典の残像である。



主権移譲後50年間は「一国二制度」が保障されるという1984年に両国が署名した「英中共同声明」を中国が守るはずがねーだろ、せいぜい行っても25年だな、という雲水氏の当時の予想は23年で決まったようだ。「香港国家安全維持法」なる法律が全国人民代表大会の常務委員会で審議後制定され6月30日午後11時に施行された。香港の法律よりも優先するという「香港国家安全維持法」は「一国二制度」「高度な自治」という香港が香港でありうる核をいとも簡単に消滅させた。現在の中国は憲法の上に中国共産党政府が位置付けられている人治国家である。国力が世界第二位となった一党独裁国家は他国が何と云おうが気にせず何でもできる。イギリスをはじめとした西欧列強による清朝支那(満州族)に対する“いじめ”が発端で国力の弱さに乗じて香港をはじめ沿岸部の主要地帯を植民地化された国が自国の領土を取り戻そうとする行為は自然なことであろう。


「英中共同声明」を尊守して50年間待てば自由に施政権を行使できる世界が認める土地に自動的に戻ったはずであった。そうしなかったのは眠れる獅子がたまたま早く目を覚ましてしまい世界第二の国力を持ってしまったが故に漢族主体の一党独裁中枢をして50年間も待つなんて我慢ならん、今こそ昔の恨みをはらそうと立ち上がったというだけのこと。香港住民が資産もろとも他国に移住して行っても何も困らない。世界の金融センターとしての立ち位置が崩れてしまおうが香港という土地をなりふり構わず取り戻してしまえばあとは有効な利用方法を考える。まあこんな感じでしょうか。くどいようだが他国が何と云おうが、どのような対抗措置を取ろうが聞く耳はもたないのが中国に限らずともパワーを持った国の振る舞いというものだ。第二次世界大戦で戦勝国主体が常任理事国になり拒否権を行使できる国際連合なんていう組織はもう何の役にも立たない。


これで台湾は独立志向をますます強めていくのは自然の成り行き。そして中国の武力での台湾進攻が益々現実になったようだ。何故か知らないがこうして語り終え、目を閉じるとただの漁村であった頃の香港ののどかな風景がモノクロームで雲水氏の目に浮かんでくる。
令和2年(2020年)7月
               行雲流水庵(J)にて


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