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投稿 セミナー 言行録 金言・名言 人生のバイブル オピニオン

 

 

【50番目の核兵器禁止条約批准国(ホンジュラス)】2020.12.1

 

 核兵器禁止条約を50番目に批准したのは中米の小さな国・ホンジュラスだった。国連が定める五大州別の批准国・地域数は、アフリカ6▽米州21▽アジア8▽欧州5▽オセアニア10である。小国や島国が多いのが特徴だ。日本は「日米同盟の下で核兵器を有する米国の抑止力を維持することが必要」などとして批准していない。

 

□批准した24日は国連創設から75周年の節目。同国外相はこの日の朝に「(ホンジュラスを含めた原加盟国による)国連憲章の署名から75年。平和と安全、発展を支えるという目的を達成するために、引き続き努力する」とツイートしていた。
□条約を批准した国・地域は島国や小さな国が多い。ホンジュラスも、面積は約11万平方キロで日本の約3分の1。人口も約974万人で日本の約100分の8だ。麻薬犯罪組織の抗争などで治安も悪く、移民として豊かな米国を目指す人も多い。こうした小さな国は大国の「エゴ」に翻弄(ほんろう)されてきたが、賛成国の数を積み上げることで、核廃絶への決意を条約発効という形で示した。
□ホンジュラスが国会で批准を承認したのは9月24日で、その後、最終的な行政手続きを進めていた。ロサレス外相は10月2日に開かれた国連の会合で演説し、核廃絶に向けて決意を語っていた。「核兵器は平和と私たちの未来にとって永続的な脅威です。核兵器の廃絶を進めるうえで、私たちのささやかな、しかし誠実な貢献を期待していてください」【2020年10月25日付毎日新聞より】
1985年6月、S社現役時代、「マーケティング・リサーチ」で約1ヶ月かけて中米;パナマからテルシガルパ、サンサルバドール、ガテマラ、ボゴタ、リマ、キトー、メキシコを縦断した。当時は今よりもっと貧しかったが、治安は悪くなく難民騒動などもなかった。
 ただ、今でもすぐ思い出す強烈な事件は、「サッカー戦争」。世界で最も人気のあるスポーツのひとつ、サッカー。特に中南米の熱狂・興奮をご存知通りの人は多いと思う。しかし、平和のためのスポーツ・サッカーがなんと、戦争の原因になったことをご存じの方は少ないと思う。(写真右上;戦争のきっかけとなったスタジオ)
1969年7月、エルサルバドルと隣国のホンジュラスは、サッカーの試合がきっかけで、軍隊同士が衝突するサッカー戦争を引き起こした。サッカーの勝敗で興奮した両国の観衆が衝突したことがきっかけであったが、それだけで戦争になったわけではない。それ以前からこの両国間には国境問題などで緊張感が高まっていた。その背景には、長引く軍事独裁に嫌気のさしたエルサルバドルの人々がホンジュラスに密出国し、それに手を焼いたホンジュラス側が不法移民の権利を剥奪する挙に出た。やむなく自国に戻ったエルサルバドル人が、ホンジュラスで虐待されたことを盛んに宣伝したので、反発が強まっていた。そこでエルサルバドル側が攻勢をかけ、ホンジュラスは防戦に回る戦いとなった。現在、世界各地で戦争が絶えない。いろいろ原因はあるが、サッカーで戦争したのはあまり例がない。(完)

 

【「世界一貧しい大統領」引退(ウルグアイ)】2020.11.1

 

 「世界で最も貧しい大統領」として知られた、南米ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領(85)が20日、上院議員を辞任し、政界から引退すると発表した。免疫の持病があるといい、「パンデミックが私を追放した」と述べ、新型コロナウイルスの影響で決断したとみられる。一線から退くが、政治活動は続けるという。ムヒカ氏は「ペペ」の愛称で知られ、2010〜15年に大統領を務めた。収入のほとんどを寄付し、質素な生活を続けたことなどから「世界で最も貧しい大統領」として知られた。独特の表現と語り口で、政治参加や民主主義の重要性などを説いた。
ムヒカ氏の祖先はヨーロッパにあるバスク地方のビスカヤ・ムヒカ(スペイン語版)出身であり、1742年にウルグアイに渡った。ムヒカ氏は1935年にウルグアイの首都モンテビデオの貧困家庭に生まれた。モンテビデオ大学卒業後は家畜の世話や花売りなどで家計を助けながらも、1960年代に入って極左都市ゲリラ組織ツパマロスに加入、ゲリラ活動に従事する。ツパマロスと治安組織の抗争の激化、労働組合や職人組合の政治経済への反発といった時代のもと数々の襲撃、誘拐にたずさわる中で、ムヒカ氏は6発の銃弾を受け、4度の逮捕(そのうち2回は脱獄)を経験する。
1972年に逮捕された際には、軍事政権が終わるまで13年近く収監されており、軍事政権側の人質として扱われていた。ムヒカ氏は出所後、ゲリラ仲間と左派政治団体を結成し1995年の下院議員選挙で初当選を果たす。2005年にウルグアイ東方共和国初の左派政権となる拡大戦線のタバレ・バスケス大統領の下で農牧水産相として初入閣。そして2009年度の大統領選挙戦で、元大統領である国民党のルイス・アルベルト・ラカジェ公認候補を決選投票で破り勝利した。
20日に政界引退を発表した元大統領の演説がスペイン語圏のSNSで拡散され、注目を集めている。私も含め多くの人々が共感を覚えるのは彼の思想を行動で示す、清貧な生き方と発言である。今まで現代社会に警鐘を鳴らしてきたムヒカ氏は、この日の引退演説でも、政治家のあるべき姿や人生哲学を語った。
 「議員の仕事は人と話し、どこへでも足を運ぶことだ」として、感染の恐れから、それができなくなったとした。
 「人生で成功するということは(人)を負かすことではない。倒れるたびに起き上がるということ」と呼びかけた。
 大統領退任後の2016年4月5日から4月12日にかけて日本を訪問し、4月7日には東京外国語大学で講演を行った。訪日で、広島が最も印象に残ったと話した。ムヒカ氏を追ったドキュメンタリー映画も作られ、また、「ホセ・ムヒカのスピーチ」「日本人に贈る言葉」など本も多数出版されている。
もう40年も前だが、ブエノスアイレス出張中、休暇でモンテビデオを訪問した。ブエノスアイレスーモンテビデオ間、フェリーで約3時間、料金は500円ぐらいだったと記憶している。物価はアルゼンチンよりはるかに安く、皮のコートが約1万円、2着購入。友人に贈呈したら大変悦ばれた。ただ、縫製技術がまずく、裏地が数年でボロボロになった苦い思い出が残っている。完

 

【マチュ・ピチュ遺跡・発見から約100年目(ペルー)】2020.10.1

 

 私を含めた日本人が最も訪れたい、死ぬまでに一度は訪れたい世界遺産のひとつが神秘的な「マチュ・ピチュ」。(もうすでに訪問済みの人もいると思うが) 地元ペルーはもとより世界中からインカの遺跡を求めて、季節を問わずクスコや周辺の地域を訪れている。(今はコロナ禍で事情は違うが。)では、何が人々を引き寄せているのだろうか。当時、南米大陸で最大の領土と1,000万人を超す人口を擁しながら、16世紀にスペイン人たちの策略によって滅亡させられた悲劇的な歴史のせいだろうか。
 あるいは、「耕して天に至る」という表現が決して過言ではないほどの壮大な階段耕地や精巧な石積技術による石造建設に魅せられたか。このようなインカ帝国を頂点とするアンデス文明は、いばしば「謎の」とか、「神秘の」といった形容がなされる。実際に、アンデス文明には謎といっても過言でないほどわからないことが多い。
 つい最近も、ペルー近くのメゾアメリカ地域で新たな巨大遺跡が発見されている。(2020/07/01投稿済み)
4つの謎!1)マチュ・ピチュから何故人がいなくなったのか。2)山奥に何故造られたのか。3)スペイン人に侵攻され滅ぼされたのに関わらずマチュ・ピチュに建つ建造物達は、発見時ほぼ無傷のまま残っていたのか。4)住民達はどうやって水を確保していたのか。
 今までわかった4つの謎をまとめると、1)マチュ・ピチュはスペイン人の侵攻と流行り病が原因で滅んでしまったという説が有力 2)マチュ・ピチュから何故人がいなくなってしまったのか、未だ解明されていない 3)聖地を称える為に造られたのではないかという説が有力 4)高い山奥に位置するマチュ・ピチュでどうやって水を確保したのか。雨水を利用した説があるが、それだけで水が確保出来るか怪しい。結局のところ、文字を書く文明が無いために文献が一切無く、それが原因で、多くの謎に対してはっきりとした根拠が示せるものはほとんどない。そんな謎多きミステリアスなマチュ・ピチュ。今後どんな新たな謎が生まれ、そして解明されていくのか。非常に楽しみで目が離せない。今回、マチュ・ピチュ遺跡を取り上げた理由の一つは、アメリカ人考古学者ハイラム・ビンガム(写真右上)によって発見されてからおよそ100年目にあたること。2つめは、8月から縁あってペルー人教師からスペイン語授業を受けることになり、教師が「ペルーは魔法で一杯の国」と自己紹介。教師の魔法とはなにか。これを機会にペルーの文化・歴史を勉強してみようと思い立ったからである。
 また、インターネットで検索した結果、「天空の帝国インカ その謎に挑む」山本紀夫著(PHP研究所)を発見。著者自身が40年にわたり調査結果をもとに、「何がインカ帝国を生んだのか」という謎に挑戦した本である。(写真左上)この神秘的な遺跡もまだまだ謎は多い。今後もこの本を基に「魔法の国」の理解を深めたい。
 2016年12月、「マチュ・ピチュの出会いと古代アンデス文明」展を見学。場所:みなと博物館(桜木町) 古代アンデス文明の出土品や、関与した日本人の紹介などが展示。目玉は、マチュピチの巨大写真の前で、民族衣装を着て自分のカメラで記念撮影ができたこと。実物は訪問できないが、せめて、雰囲気は味わうことができた。(写真右)(完)

 

【経済破綻、コロナ感染拡大、大爆発の三重苦(レバノン)】2020.9.1

 

 日本人には余り馴染みのないレバノン。一躍その名を知らしめたのは、2019年12月、密出国で中東のレバノンへと逃亡した日産自動車の元会長、カルロス・ゴーン被告。「日本よりも1000倍よい」と妻と2人で逃亡中とは思えない優雅な生活を楽しんでいたが、今回の大爆発で高級住宅街にある自宅が爆発で破壊され、「お金に困った武装勢力が、身代金目的で誘拐を企てる可能性もある」ので、ホテルに引きこもっているという。今、レバノンが大変なことになっている。
8月4日、レバノンの首都ベイルートにある港で、起きた大規模な爆発では、これまでに182人が死亡、6,500人以上がけがをし、今も行方が分からない30人から40人の捜索が続いている。爆発を受けて現地では30万人が家を失ったとされているが、復旧が進まない中、内閣が総辞職するなど政治的な混乱も広がっている。政府の対応を批判するデモが発生、閣僚が続々と辞任、10日のテレビ演説でディアブ首相が内閣の総辞職を表明した。ディアブ政権は1月に発足したばかりだったが、3月には債務不履行(デフォルト)に陥り、食料を確保できない困窮者もいる状態だった。2020年4月28日、レバノン各地でレバノン・ポンド(LP)の対アメリカ・ドル相場の急落に怒った住民らの抗議行動が発生し、一部が金融機関への襲撃や治安部隊との衝突に発展した。これにより、抗議行動参加者や鎮圧にあたった治安部隊に死傷者が出た。レバノンでは、2019年10月から深刻な経済危機と政府・政治体制の非効率に抗議する人民の抗議行動が激化していた。この危機は、2020年2月、3月以降は中国発の新型コロナウイルスの予防が政治・社会的課題となり、デモ隊による街路の占拠も解除されるなど一時休戦となっていた。現地日本人駐在員報告によると、「レバノンでは新型コロナの感染拡大を受けて、たびたびロックダウンが行われている。」という。2020年4月15日にLPの対アメリカ・ドル相場が1ドル3000LP以上に暴落したことを受け、人民が再び街頭に繰り出すに至ったのである。市民生活をどう支えていくかが大きな課題となっている。死者170人以上を出したレバノンの大規模爆発をきっかけに国内が大混乱状態に陥り、ハッサン・ディアブ首相は10日、内閣総辞職を表明した。そのあと成立したディアブ内閣は、一見抗議行動の要求に応じて既成政治家を排除した実務家内閣の体をとりつつ、実際には危機を打開する政策を実行する政治家としての実力のない陣容となった。そうなると、レバノン政府は財政再建も債務の支払いもできないまま迷走することとなった。2020年3月7日、レバノン政府はついに債務の不履行を宣言するに至った。1972年12月、アフリカ駐在時、出張でレバノンに行ったことがあった。当時のベイルートは、かつてフランスの委任統治領だったこともあり、西洋風の建物が建ち並び、その町並みの美しさに目を見張り、さすが、「中東のパリ」と感動した記憶がある。その後、内戦や紛争で荒廃、今回で更に悲惨な状況に言葉もない。完

 

【チェ・ゲバラは来日していた!】2020.8.1

 

 世に「スペイン語映画おすすめ8選」の一作;ヴァルテル・サレス監督の「モーターサイクル・ダイアリーズ」。原題はスペイン語で「Diarios de motocicleta」を観賞。エルネスト・チェ・ゲバラ(Ernest Che Guevara)の若き日の南米旅行記。「チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記」を元にしており、12,000キロの南米大陸縦断の旅をするロードムービー。メキシコ人俳優ガエル・ガルシア・ベルナルの代表作で、全盛期の時の映画のひとつ。世界的に評価が高く、映画の主題歌はアカデミー賞の歌曲賞を受賞している名作。
「これは偉業の物語ではない。 同じ大志と夢を持った2つの人生がしばし併走した物語である」。1952年1月4日、アルゼンチンのブエノスアイレスに住む医大生エルネスト(愛称フーセル)は喘息持ちにもかかわらず、先輩の「放浪科学者」こと生化学者のアルベルト・グラナードと共に1台のバイク(ポデローサ(怪力)号)にまたがり、12,000キロの南米大陸縦断旅行へ出かける。途中、恋人に会ったり、バイク事故に遭ったり、雪山を通ったり、徒歩やヒッチハイクや最後にはイカダに乗ったりと、先住民族(インディオ)や、チリのチュキカマタ銅山の最下層の労働者、ペルーのマチュ・ピチュやハンセン病患者らとの出会いなど、行く手に巻き起こるさまざまな出来事を通して、南米社会の現実を思い知らされる。映画のラストに80歳を超えたグラナード本人が少しだけ登場する。また、最後のナレーションで、8年後二人はキューバで再会。フーセルは有名な革命家、アルベルトは、キューバに病院を創立し、院長として活動したとわかる。
南米アルゼンチン出身の革命家、故チェ・ゲバラの生誕90年を祝う式典が誕生日の6月14日、出生地の中部ロサリオで開かれ、親族や関係者らが市内の公園に立つゲバラの記念碑に献花した。(写真左) 昨年は南米ボリビアの山中で革命闘争中に同国政府軍に殺害されてから50年に当たり、現地で盛大な追悼式典が開かれた。
1959年7月、チェ・ゲバラはキューバの使節団と共に訪日したことを知っている人は多くない。各地の工場など、当時の進歩し続けていた日本の技術現場を見学し、都内では通産相との会談も行った。そして、予定を変更して急遽広島も訪れ、原爆資料館や原爆病院を訪れ、平和記念公園内の死没者慰霊碑に献花した。のちに広島の現状をキューバの人々に伝え、キューバの教育現場では現在でも日本に投下された原爆について取り上げられているという。
ロサリオには2回赴任した。初めて赴任した2001年、早速生誕地を探しながら訪問した。公園近くの富裕層が住む住宅街の一角にひっそりと残っていた。小さな生誕地を記すプレートがあるだけで、つい見過ごしてしまいそうな場所だった。現在、売りに出されているとのこと。(写真右)
実は、アルゼンチンで共産主義者チェ・ゲバラの評価が、特に高いということはない。銅像も等身大で小さく、記念式典には親族や関係者約50名参加しただけのささやかなイベントだったと地元紙は伝えている。低所得者や原住民系の人達の間では英雄だが、中流以上の人達には、あまり受けていないようだ。サン・マルテイン将軍やマラドーナ、メッシュなどと比べたら、明らかに格下である。それは、ゲバラが、アルゼンチンで何かを成し遂げたわけではないからだろう。完

 

【マヤ文明 新たな巨大遺跡発見(メキシコ)】2020.7.1

 

日本人にもよく知られている「マヤ文明」。メキシコを含むテワンテペク地峡からユカタン半島全域までのメソアメリカ地域南部は、遺跡がてんこ盛りの地域と言われている。そこに、先日、新たな遺跡が日本人らによって発見されたというニュ―スが飛び込んできた。読んだ人も多いと思う。「アグアダ・フェニックス遺跡」と命名された。記事によると、『メキシコ南部の熱帯雨林で、紀元前1000年ごろに建築されたとみられるマヤ文明最古で最大、長さ約1.4キロ、縦約400メートルの巨大な建造物が確認された。東京ドーム約3杯分にあたる土が10〜15メートルの高さに盛られ、上部は舞台のように平らになっていて、大勢が集まって宗教的な行事をする場所だったようだ。延べ1千万人以上の労働力が必要だったと推定されている。これだけの規模にもかかわらず、支配者の存在を示す遺跡はなく、身分差のない人々が協力して作ったらしい。研究チームは、「社会的な不平等が小さくても大規模な共同作業ができることが示され、従来の文明観を覆る発見だ」としている。』
これまでチームが2013年に発表したグアテマラのセイバル遺跡で見つかった建築物が最古のものとされていた。今回見つかった建築物はそれより数十年以上は古いとみられている。なぜ今までわからなかったか?牧草や森林に覆われて小高い山のように見え、大きすぎて遺跡だとわからなかったようだ。日本や米国、メキシコなどの国際研究チームは2017年から飛行機を使った「航空レーザー測量」(空からレーザー光線を地面にあて、跳ね返ってくるレーザー光の時間差を利用して地面の凹凸を調べる技術)を行い、人工物があることをつかんだ。
「マヤ文明」は、紀元前1千年ごろから16世紀にかけて、ユカタン半島の周辺で栄え、高度な天文学や暦、複雑な文字を持っていたことで知られている。マヤ文明を構成する人々とその文化は、現在のグアテマラ、ベリーズ、ホンジュラス、エルサルバドル、メキシコに含まれるテワンテペク地峡からユカタン半島全域までのメソアメリカ地域南部において、2500年以上の長きにわたり繁栄を誇っていた。
実は、所属の西語語研究会にとって、「マヤ文明」はなじみ深い。スペイン語圏の文化・歴史を学ぶ一環として、今まで度々会員発表(2017/10グアテマラ光と影:濱田嘉昭)・ゲストスピーカー報告(2017/02メキシコ出張:佐竹信二)、DVD鑑賞(2019/02マヤの宇宙観:佐藤仁美)、外国人講師による発表(2019/02グアテマラ・マヤ文明とは:パブロ・ロペス)、外部講師セミナー(2019/08マヤ文明の世界観・カレンダー:実松克義)、など勉学・学習に勤しんできた。よって、今回のニュースは地理・背景が解り、遺跡発掘の貴重さ・偉大さがよく理解できた《完》

 

【SNSで解ったコロナ感染状況(南米・コロンビア)】2020.6.1

 

 世界的には回復者の割合が増え、死亡者も減少。日本も「緊急事態宣言」解除、少しずつ良い方向に進んでいるようだが、南米はこれからか?ブラジル感染者急増43.8万人、死者数2.7万人(世界第2位)。コロンビアの感染者も総数遂に23,000人を突破。死者数は682名(5/29現在)
2009年、JICA(国際協力機構)ボランティア派遣前研修、2016年出張先のパラグアイ・アスンシオンやアルゼンチン・ブエノスアイレス等々、度々再会した元青年海外協力隊員・MI女史と最近、SNS (Facebook)で繋がった。SNSを初めて約6年、国内外に100名の友達ができた。その一人、彼女から日本では情報少ない南米やコロンビアのコロナ状況が解ってきた。
コロンビア(人口4,965万人)の強制自宅待機措置が6月末までの再々再々?延長が決まった。段階解除を始めてから約1カ月。ここのところ毎日1000人前後の新規感染者。取締りも緩んでいるからか、都市では露天商まででていたり、交通渋滞していたり、と日常が戻りつつある。このまま、感染者数のコントロールができなくなると再度全面強制自宅待機措置の施行も、あり、らしい。ボゴタ(人口770万人)の場合は、ICU病床数の5割が埋まると警戒レベルオレンジ、7割埋まると全面強制自宅待機措置らしい。この判断は各地方自治体の長に任されているようだ。
中国や日本などの東アジアとヨーロッパの一部で大騒ぎになっている頃は、コロンビアをはじめ中南米ではまだある意味、対岸の火事状態だった。しかし当初から、テレビのニュースでは毎日取り上げられており、多くの人が危機感を持っていた。初の感染者が確認されたのは、南米では2月26日にブラジルで、中米メキシコで2月28日。その後、中南米で感染者が徐々に見つかり、コロンビア到達も時間の問題かと思われていたところ、ついに3月6日、コロンビア国内初の感染者を確認。イタリア留学から帰国したコロンビア人女性だった。3月9日には、新たにスペインから帰国した2名の感染を確認。コロンビア人や外国人居住者については、自宅やホテルなどでの強制的隔離措置が取られ、翌日の14日、この対象国を全世界に拡大すると発表。ブラジル・ファベーラほか多くのスラム街がある南米、まだまだ感染拡大の予感。
ボゴタには1978年以来6回訪問、6ヶ月駐在。当時と違い、現在のコロンビアでは、治安の改善などを背景に外国からの投資が急増している。世界銀行の「ビジネスのしやすさ」ランキングでは中南米でトップ。また、現地日系企業の9割が事業の拡大を予定している(ジェトロ調べ)。コロナ終息後、再訪してみたい国、美しい山、街並みそして美女大国。(絵:駐在時、ホテルから市街地を描いた水彩画) 完

 

【あの鐘は誰のために?(誰がだめに鐘は鳴る)】2020.5.1

 

 『誰が為に鐘は鳴る』(たがためにかねはなる 原題: For Whom the Bell Tolls)は、1943年製作のアメリカ映画。アーネスト・ヘミングウェイの小説『誰がために鐘は鳴る』の映画化作品。映画の邦題では「為」という漢字が使用されている。歴史描写、人物描写、またそんな中で育まれている恋愛描写。3時間弱の長編でありながら、描かれているのはたった3日間の出来事。物語はイングランドの詩人ジョン・ダンの説教の一説から始まり、タイトルも詩の一節から引用されている。そもそも鐘といってもただの鐘でなく、「弔鐘(ちょうしょう)」死者の冥福を祈って鳴らす鐘である。メインストリーに鐘は全く出てこない。導入部とラストに突如現れゴイ〜ンゴイ〜ンと自らから打ち鳴らし存在感を放つだけ。元になったジョン・ダンの詩(下記参照)を理解しているか、冒頭の字幕をしっかり見ていないとタイトルの意味は解らない。

 

     われは人類の一人なれば
    誰の死をも我を気付つける
   たれが為に弔鐘は鳴ると問うなかれ
    弔鐘は何時が為になる

 

 舞台は1937年、内戦に揺れるスペイン。ロベルト・ジョーダンはアメリカ人ながら、人民戦線軍の一員として民主主義を守る戦いに身を投じていく。そんなある日、ロベルトは戦略的に重要な峡谷の橋を爆破するよう命令を受ける。この爆破によって、一気に人民戦線軍は攻勢をかけようとしていたのだ。
見所は、ゲイリー・クーパーとイングリッド・バーグマンの二大スターの競演、特に、イングリッド・バーグマンの輝くばかりの若く美しい見事なヒロインぶりが本作品の成功の半分はあるといわれている。そしてあと半分の成功要因は、山岳ゲリラのボスの女房、実質的な本当の肝っ玉ボス中年女性ピラー役のカテイ―ナ・バクシヌーだ。アカデミー賞助演女優賞を取っているだけあって、その存在感と役柄への説得力は見る者を圧倒、ほれぼれする。
現在の社会・会社にこのような凄い女性上司はいるのだろうか。私の現役時代には、男性上司は数人いたが女性には巡り合えなかった。若し、もう一度昔のサラリーマン時代に戻り、若し、こんな女性上司なら部下として働いてみてもいいかなぁー、成功も失敗も一緒になって喜び、悲しんでくれるのではないか。そんな気にさせてくれる人物である。
名作とは、映像、脚色、キャスト、音楽、演出が総合的に優れていること、まさに本作は名作の一つ。3時間弱の時間を感じさせず一気に観た。コロナ禍中、時間があるいま、是非カテイ―ナ・バクシヌーの迫力ある熱演と短髪のイングリッド・バーグマンの美しさをご堪能下さい。《完》

 

【今、心に響くツイター(チター)の音色(第三の男)】2020.4.20

 

 『第三の男』(原題: The Third Man)は、1949年に製作されたイギリス・アメリカ合作のミステリー映画。キャロル・リード監督作品。舞台は第二次世界大戦後、米英仏ソによる四分割統治下にあったオーストリアの首都ウイーン(*1)。当時の酒場で人々に親しまれたツイターのメロディ(アントン・カラスによるテーマ曲)をBGMに物語の幕が開く。光と影を効果的に用いた映像美、戦争の影を背負った人々の姿を巧みに描いたプロットで高く評価されている。
また、アントン・カラスのツイター演奏によるテーマ音楽や、ハリー・ライム役のオーソン・ウェルズの印象深い演技でも知られている。今回は映画について知っている人が多いと思うので、ここで使われている音楽、楽器について書く。音楽はこの映画のためにウイーンのツイター演奏家アントン・カラスが作曲、自ら演奏している。
(音楽を聴く;スピーカー スイッチ オン, URL クリック https://www.youtube.com/watch?v=OMGYmX7WnbY )
1949年、第二次世界大戦の傷跡も癒えぬウイーンを舞台に、映画「第三の男」の撮影が開始された。監督キャロル・リードは、この映画の音楽に思慮していた。そのような時に、ウイーンのツイター(チター(*2))奏者アントン・カラスとの出逢いが訪れた。カラスはロンドンのリード邸で作曲に取り組んだ。映画は完成し、1949年9月ロンドンで初めて公開されたときの人々は感動のあまり呆然としたという。数日後、カンヌ映画祭にてグランプリを受賞。日本での公開は3年後の1952年9月であった。映画の撮影スタッフと共にロケ地であるウイーンを訪れたリードは、そこでツイター(オーストリアの民俗楽器)奏者のアントン・カラスに出会った。カラスの巧みな演奏に感銘を受けたリードは、既にオーケストラの楽曲が用意されていたにもかかわらずカラスの作曲したテーマ曲は1950年代最大のヒット曲となった。
このテーマ曲は、映画の登場人物の名前から「ハリー・ライムのテーマ」とも言われている。日本ではヱビスビール(サッポロビール)のCM(これがきっかけで東日本旅客鉄道(JR東日本)恵比寿駅の発車メロディにも採用)や、阪急電鉄大阪梅田駅で終電間際に流れる音楽などに使われている。
余談;エビスビールのCMに映画「第三の男」のテーマ曲が使われているのはなぜか?
当時はそれなりの理由があったかもしれないが、経年の結果当時を知る担当者が既に他界。自然とウヤムヤに成ってしまったようだ。 完

 

 

【今、鑑賞する古い名画(カサブランカ) 】2020.4.11

 

 ”コロナ禍中の外出自粛、自宅軟禁をどう潰しているの?”と問われると、躊躇なく“洋画鑑賞”と答える。大の洋画ファンを自負している私は、主にCATV、BSの洋画を年間300本以上(日に1〜2本)観ている。
このような事態となり、最近の録画済洋画の在庫が少なくなったのを機に、保有している「ハリウッド名画DVD(特選10)」を見始めた。みな昔観たものばかりだが、何十年ぶりの再生。最初がこの『カサブランカ(スペイン語;白い家)』。1982年11月、モロッコ出張した現地、フリーマーケット、露天などを回想しながら鑑賞。
この作品は、今から75年前、1942年に公開されたハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマン主演の第二次世界大戦下のフランス領モロッコのカサブランカを舞台に再会する男女のラブロマンスを描き、アカデミー賞8部門にノミネートし、そのうち作品賞と監督賞、脚色賞の3部門を受賞。最も有名なのは、「君の瞳に乾杯」など名セルフが散りばめられていること。映画を見たことのない人でも聞いたことがあるたくさんのセルフがある。アメリカ映画協会選定の「アメリカ映画の名セリフベスト100」にランクインされている6つの名セリフは;
@ 5位にランクインされたのは、前述の「君の瞳に乾杯(Here's looking at you, kid.)」。この名セリフは劇中で4回出てくる。
A 映画のラストシーンでのセリフ「ルイ、これが美しい友情の始まりだな(Louis, I think this is the beginning of a beautiful friendship.)」。飛行機に乗ったイルザを見送った後、リックと警察署長ルノー(ルイ)の2人が夜の霧の中へ消えながら、美しい新たな友情の始まりをお互いに確かめ合うシーン。
B あれを弾いてサム。『時の過ぎ行くままに』を(Play it, Sam. Play 'As Time Goes By.)」。
C Round up the usual suspects. (「いつもの要注意連中を一斉検挙だツ」)
D We'll always have Paris. (「君と幸せだったパリの思い出があるさ」)
E フランスのパリで出会い別れたイルザが、モロッコのカサブランカにあるリックの経営する店に突然姿をあらわす。しかも一緒にいるのはイルザの旦那。酔いつぶれて、やりきれない思いを吐き出したセリフが「世界に星の数ほど店はあるのに彼女はおれの店に(Of all the gin joints in all the towns in all the world, she walks into mine.)」。ランク外のなんでもないようなシーンにも、例えば、リックを訪ねてきた女性に、リックがつれなく返事をするシーン。昨日なにしてたの?(女性)そんな昔のことは覚えていない(リック)今夜会える?(女性)そんな先のことは分からない(リック)等々名セルフはある。
 一生に一度は観るべき作品のひとつ、『カサブランカ』。まだ見ていない人、このコロナ鬱時、是非、見てほしい名画である。完

 

【なぜイタリアで感染が爆発的に広がり、死者が急増したのか】2020.4.1

 

 新型コロナウイルス感染による死者は拡大の一途、歯止めがかからない状況が続いている。世界最多の1万余人を突破、感染が最初に確認された中国・武漢から遠く離れた南欧イタリアだ。なぜこの国で感染が爆発的に広がり、死者が急増したのか。
3月28日付朝日新聞イタリア在住20年の日本人漫画家(女性)からの記事は、身につまされた。なぜなら、アルゼンチン(以下、ア国)とまったくおなじだからだ。ア国民の約85%がイタリア系移民である。主な理由は、ア国が欧州からの移民を歓迎したこと。イタリア同様カソリックが主宗教だったこと。イタリアが経済的に不安定で仕事がなかったことである。
今までア国20回訪問、約5年間滞在、現在も数年毎に訪問している私の経験より彼女の見解は全面的に共感・共鳴できる。遥かに日本よりア国ではお年寄りを大切にする国民性を身をもって感じてきた。テニスの最中、滑って倒れた時、周りの大勢の人たちが飛んできて、「大丈夫か」「救急車を呼ぼうか」など親身になって心配してくれたことがあった。イタリアは親と同居する30〜40代は2割を超え、他の欧米諸国より高い。ア国も大体同じだろう。親と同居していなくても、子供や身内は友達や恋人を連れて頻繁に親元を訪れ、一緒に食事するのがア国でも一般的だ。私も滞在中、必ず日曜日には友人宅に招待された。
「孫が風邪気味でも気にせず、祖父母はハグやキスでベタベタ」。口角泡を飛ばしながら議論したり、顔をくっつけてささやきあったりと、人と人との距離が近いのがイタリア系人種の特徴だ。また、手洗いやうがいをする習慣は日本に比べて定着しておらず、「ハンカチで鼻をかむのも一般的」だ。感染急増の原因は、“イタリアの国民性があだ?”となっているのではないかーと彼女は言っている。(他の理由として、医療崩壊もある。)
幸い、ア国の新型コロナウイルス感染者、死者は母国よりはるかに少ない。感染者が多い中国や欧米からは遠く、接触する機会が少ないからだろう。彼女は、「日本もイタリアと同じように高齢化が進むのに、若い人が満員電車に乗って花見や繁華街に出かけるなど危機感がない。高齢者に感染させるリスクをもっと意識してほしい」「不要不急な外出を止めて感染拡大を一刻も早く止めないと、日本もイタリアと同じ道を歩みかねない」とも警告している。コロナ騒動はいつ終息するのか。今年12月ア国スペイン語研修旅行を計画しているものとしては、一日も早く終焉して欲しいと祈るばかりである。完

 

【武漢、今昔物語(中国・湖北省)】2020.3.2

 

 新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、中国政府が発生源の湖北省武漢市を「閉鎖」してからおよそ40日がたつ。その空港、駅、高速道路が封鎖されて外部との行き来が途絶えただけではなく、市内の地下鉄・公共バスもすべて止まった。東京都に匹敵する中国内で8番目の人口1100万人を抱える、中国中部唯一のメガシティの交通を止めるという前例のない措置の下、市民はどんな重圧や不自由に向き合っているのか。今日、仙台市在住のS社在勤中タイで一緒に仕事をした旧友から、その手掛かりとなる一通の電子メールが届いた。
”昨年秋に8月から単身赴任している友人のS社後輩T君から中国の無錫に滞在しているという連絡があった。中国正月の春節休暇で1月19日に日本に戻ってきているときに武漢のウイルス肺炎騒ぎが大きくなっていたものの現地へ戻ったのは2月9日。その数日後の12日に日本の外務省海外安全情報で中国全土の在留邦人や旅行者に対し、日本への早期の一時帰国を至急ご検討せよとの指示に従い2月19日に帰国。2月24日の彼からの電子メールでは「無錫は肺炎による死亡者もいなく、飲食店はまだ開けていませんが3月頃から開ける話もあります。無錫へ戻るのはその頃かと思っています。中国のスーパーは開いておりそれなりに人も多いですが、街中は人が殆どいません。熱があると判断されると警察に連行されてしまうので、恐れていることもあるものと思います。”
武漢市は、中国のほぼ中央に位置し、湖北省の省都。アジア最長の大河、長江(揚子江)とその最大の支流の漢江の合流点にあり、古くから文教、交通の要衝地。中華人民共和国成立(1949年)以降には、鉄鋼など重工業の工場が多く建設された。ハイテク産業の集積が進む経済都市でもある。同市に、199社の日本企業が進出していることが、企業信用調査会社の帝国データバンクの調べでわかった。湖北省全体の日本企業は229社で、武漢市に8割超が集まっていることもわかった。中国全体で日本の進出企業は約1万4000社。湖北省には全体の2%が集積する計算になる。進出する日本企業を業種別にみると、最も多いのは「製造業」で、46.2%に当たる92社。製造業の中では「自動車部分品等製造」が 23 社で最も多かった。
またまた、古い話と顰蹙(ひんしゅく)を買いそうだが、約20年前、湖北省の中国ビジネスマンと強いネットワークを持つ友人の誘いに乗り、数名で「新規ビジネス開拓」の市場調査で、武漢、蘇州他を訪れたことがある。今、人影がない街並み、空港、地下鉄などの動画・画像を見て、昔、街は人で溢れ、活気があった。当時、複雑な歴史背景に思いを馳せながら日本領事館旧跡、日本居留民団班事処、湖北省博物館、赤い提灯やら四合院など今も変わっていないであろう武漢租界エリアの老建築「オールド武漢」を見て回った。今昔の感。完

 

【戦争と感染症。過去日本の窮地を救った親日国(トルコ)】2020.2.1

 

 1890年秋。オスマン帝国の使節団を乗せた軍艦「エルトゥールル号」が和歌山県沖で遭難。荒れ狂う海に投げ出された乗組員のうち69人を串本町大島の住民が救助し、献身的に看護。1985年3月。イラン・イラク戦争のさなか。各国は在イランの同胞を帰還させる救援機を急派した。が、日本政府の対応は遅れ、多数の邦人が現地に残された。窮地を救ったのがトルコ政府だ。自国機を差し向けてくれた。理由のひとつが伝統的な親日感情。その原点が、エルトゥールル号遭難事件だった。そんな筋立ての映画が5年前に公開されたので、見た人もいると思うが、日本とトルコの合作「海難1890」である。私も何故か涙を出しながら観た記憶がある。安倍晋三首相も鑑賞している。戦争と感染症。もちろん、危機の性質は大きく異なる。首相は新型コロナウイルスの感染が深刻化するなか、中国・武漢に滞在する邦人のうち、帰国希望者にチャーター機を用意する方針を表明した。《写真右:エルトゥールル号殉難将士慰霊碑(和歌山県串本町)出典:wikipedia》
 加えて国内の感染者に対し、強制的な入院措置などを可能とする「指定感染症」の手続きをとる。インバウンド消費の減少が、日本経済を下押しする懸念も生じている。思えば、イラン・イラク戦争当時、安倍晋太郎外相は危機対応に苦労した。グローバル時代の新たな厄災を前に、首相の胸にどんな思いが去来するのか。(参考:2020.01.28日本経済新聞)
 因みに、2012年に外務省がトルコで行った世論調査の結果では83.2%のトルコ人が日本と「友好的な関係・どちらかというと友好的な関係」と回答している。
2007年3月、JICA案件:『ガーナ地場産業振興プロジェクト』に従事し、ガーナ・日本を往復している合間をぬって、トルコを旅行した。実際にトルコの各地を回り、歩いている道路やレストランなどでトルコ人から満面の笑みで「私は日本人が大好き!」「日本は素晴らしい!」と言われた。ではなぜトルコの人達がそんなにまで親日家なのか、前述のように長くて深い歴史的背景だとよく納得・理解できた。トルコには、親日家が多い以外に、自然が美しい。天気がいい。古代遺跡や世界遺産が身近!食べ物がおいしい。トルコの歴史&文化が面白い。治安も悪くない。等々魅力が満載。
日本人に最も人気があるトルコの観光スポットのイスタンブール(写真左)とカッパドキア(写真右)のほか、トロイ、イズミール、コンヤ、アンカラをまわった。特別何もしなくても、ただ歩いているだけでなぜか楽しいのがイスタンブール。イスタンブールではトプカプ宮殿やブルーモスク、グランドバザール、ガラタ橋などの有名なスポットを見て回り、特にイスタンブールの旧市街に沈む夕陽は、感動的でエキゾチックな光景を今でも鮮明に記憶している。カッパドキアでは、洞窟のホテルに宿泊。また、有名な料理であるポットケバブ(ケバブの壺焼き)も試食。おすすめの旅行国である。完

 

【記録と記憶に残る忘年会・2019】2019.12.17

 

素晴らしい忘年会だったと感じたのは私だけでしょうか。”最近、年末の忘年会に参加しない「忘年会スルー」を希望する人が増えている”とのテレビニュースを観ました。ビジネスパーソンにとっては恒例行事だが、SNS等ではNHKの報道をきっかけにさまざま意見が飛び交っています。さらに忘年会の幹事については、なんとか会を盛り上げようと頑張っても参加人数が集まらずに大変な思いをしているとも報じていました。私は「忘年会ウェルカム」派です。本会参加者は約50名、大成功の証でしょう。
素晴らしいと感じた理由1:まず、会場は例年と同じ「横浜パセラリゾーツ関内店」」(写真1.2)だが、部屋は8Fバトゥール。広々とした着席スタイル、各席への移動も全く支障なく、食事、歓談をゆったり楽しめました。(写真3)理由2:手際よい進行・式次第。(写真4.5.6)理由3:以前より料理類は少なめだが、ひととおりサラダからデザートまで揃っており、自分に合った量、ペースで堪能、赤ワインもあり大満足(写真7)。理由4:演芸会・ピアノ、サックス、ウッドベースの三重奏(トリオ)には心を揺さぶられました。司会者が、”この生演奏を聴くだけで会費(5千円)分ある”は本当でした。よく練習、リハーサルを繰り返されたのが実証されました。(写真8)。理由5:豪華賞品が多数。(写真9)私が所属する「ワインを愉しむ会」からもワインを提供。私自身3位「温泉研清水会長賞」(写真10)に当選したこともあり、例年なく豪華の印象。最後に「忘年会スルー」風潮の中、幹事団の練りに練った「智慧と工夫」で見素晴らしい忘年会を開催できることを証明した、そして記録と記憶に残る2時間でした。完

 

 

【真夏の大晦日・お正月(アルゼンチン)】2019.12.12
2018年12月「真夜中のクリスマス」を投稿しましたが、今回「真夜中の大晦日・お正月」の想い出を記します。日本の大晦日は「年越しそば」「紅白歌合戦」が定番ですが、アルゼンチン(以下、ア国)では、「アサド(炭火焼肉)」「花火」です。丁度10年前(2009年)、テニス仲間の郊外自宅に招待され、南半球での大晦日・お正月を迎えました。そこは赴任地コルドバ市内の高級住宅街が軒を連ねている一画にあり、所有地は道路を挟んで1ブロック(10,000u)そのまま自宅で、大きなプール、高価な家具が揃った豪邸でした。弟は「司法省」勤務、オーナーの兄は「INTEL(パソコンOS用半導体)」に勤務。仕事で頻繁にブラジルに出張しているとのことでした。ア国では恵まれた中産階級の兄弟・家庭といえます。クリスマス・イブ時と同様、真夜中の12時には全員道路に出て、カウントダウン。その後、至る所で一斉に花火を打ち上げられ、新年を祝いました。付近はもうもうたる煙と爆音に包まれ異郷での2回目の新年を迎えました。先の暑かったクリスマス・イブの夜とは異なり、当日は心地よい風が頬を撫で、少し肌寒く感じさえする絶好の夜でした。例によって終わったのは朝3時半、ア国でのパーテイ―は体力が勝負です。
日本では運動会、花火大会などでは行政・市町村で花火をあげるケースが多いが、大晦日や元旦にあげる習慣、風習は記憶にありません。当地では、個人で小さな花火を買い、個人で花火を上げるのが習わしのようです。ラテンアメリカでの真夏のクリスマス・イブ、大晦日・お正月を2年・2回迎えました。生涯忘れられない想い出、体験として記憶に深く長く残るでしょう。 完

 

【小さな国に不相応な絵画の巨人たち(オランダ)】2019.11.26

 


10月21日付産経新聞「産経抄」の記事、「オランダは小さな国に不相応なほど多くの絵画の巨匠たちを出した」。司馬遼太郎の『オランダ紀行』の一節です。日本人にも馴染みのある「レンブラント」「ゴッホ」「フェルメール」など美術史に名を馳せる巨匠たちがオランダ出身です。
個人的にはレンブラントが最も好きです。2008年8月、夫婦でRijksMuseum・アムステルダム国立美術館(写真上)、ゴッホ美術館(写真右)、KAAS美術館などを廻って実物を自分の目で観てきました。特に、世界三大絵画として知られる画家「レンブラント・夜警」を目前にした時の感動、興奮は今も忘れられません。
1664年に完成したレンブラントの代表作「夜警」(写真左)は世界三大名画としても有名ですが、正式には「フランス・バニング・コック隊長の市警団」と いうタイトル。本来は昼間の情景が描かれた作品なのですが、画面が薄暗いことから夜の様子を描いたと考えられ、「夜警」という題名が後から付けられたようです。
 しかし、20世紀に入り二度の洗浄作業が行われ、ニスの劣化による黒ずみを取り除くと、画面の左上から光が差し込んでいることがわかりました。その絶妙な光と陰のバランス、「光の魔術師」と呼ばれるレンブラントの技が、何世紀もの時を経て姿を現しました。現在、RijksMuseum・アムステルダム国立美術館に展示されています。長年、仕事・生活の中心は、アフリカ、アジア、中南米地域など開発途上国でした。これらの地域は、生きていく、生活をしていくのが精一杯で、「衣食足って礼節を知る」状態にはまだ時間がかかりそうです。11年前に訪問した先進国、オランダ・ベルギーは、洗練された、文化・教育レベルの高い、本ものを知る、「心の豊かさとはなにか」を実感した旅でした。また、絵画の三巨人に同時に鑑賞する、贅沢な旅でもありました。(完)2019/11/05

 

【行こう!知ろう!深沢栄一を訪ねる旅】シリーズ第5回 渋沢栄一 「知らざるもうひとつの顔」2019/11/05

 

渋沢栄一(以下、栄一)が、生涯に約500社もの企業創設したことは、前号第2回に「渋沢栄一との出会い」でご紹介しました。今回、600を超す社会事業にかかわった知らざるもう一つの顔、「日本の社会福祉事業の創始者」(参考:2019.09.04 NHK BSテレビ「英雄たちの選択」)を記します。
運命を変えたのは、パリ万博使節団の一員として1867年(28歳)の渡欧で、「資本主義のシステム」との出会いです。銀行や株式会社などの資本主義のシステムを日本に作ろうと決意。当時首都東京は荒廃、人口約50万人の中60%の浮浪者が街に溢れていました。栄一はなんとか方法を考えて貧民の生活を助けなければいけないと「東京養育院」を設立。
栄一は、信奉する徳川幕府松平定信の安政の改革を参考に、「七分積金」(町内会積立金の七分に相当する米やもみを徴収・備蓄、飢饉や災害発生時、セーフティーネットとして放出)、「職業訓練所」を設け、わらじ作りや大工など技術を学ばせ、手に職を持たせ、社会復帰を支援。子供達には「学問所」を作り、知識を身につけさせました。さらに、病人や老人のために、近代的な診療設備を設置しました。
以後、「養育院」は何度も縮小や廃止の岐路にあいながら、?今でいうホームレスのような人たちを収容するだけではない施設、社会全体で事業として確立させなければいけない?と強い思いで養育院を通して福祉という活動に深く強くのめり込んだのです。およそ60年間の生涯をかけてその発展に尽力した「養育院(現・東京都健康長寿医療センター)」は、栄一の思想を受け継ぎ、今、日本有数の医療施設として人生100年時代の人々の老後を支えています。栄一は、「貧しい人が救われないと本当の国家ではない」という信念で、貧しい人を救う「救貧(お腹が空いて人に魚を上げる)」ではなく「防貧」(釣り竿と釣りの仕方を教える)が大事とも言っています。福祉活動の対象者を生活困窮者だけでなく、災害にあって困っている人、病気で苦しむ人達に拡げ、医療、学術研究施設の設立・運営に協力。
また、すでに保育所の構想も持っていました。よく知られている聖路加国際病院、日本赤十字病社、理化学研究所、東京高等商業学校(現・一橋大)、日本女子大学校(現・日本女子大)などを創立。1909年(70歳)に経済界から引退後(除く銀行)も、社会福祉活動は終生(92歳没)続けました。

 

【第4回 「渋沢栄一を訪ねる旅」】2019.10.15

 

【渋沢栄一、「論語と算盤」を読み解く】
 渋沢栄一(以下、栄一)に関する本は沢山あります。この「論語と算盤」(守屋淳著、ちくま新書)は、彼の自叙伝である「雨夜譚(あまよがたり)」(岩波書店)と並んで、もっとも読みごたえのある入門書と言われています。「論語と算盤」は栄一が書いたわけではなく、その講演の口実をまとめたものです。
本シリーズで紹介しているように、一般的な知名度はあまり高いとは言えないが、実は栄一とは、「近代日本の設計者の一人」に数えられる偉人です。一方、日本の実業界、ひいては資本主義の制度を設計した人物でもありました。もともと「資本主義」や「実業」とは、自分が金持ちになりたいとか、利益を増やしたいという欲望をエンジンとして前に進んでいく面があります。しかし、エンジンはしばしば暴走、大きな惨事を引き起こしていく。日本に大きな傷跡を残した1980年代後半からのバブル景気や昨今の金融危機など、現代でもこの種の例は枚挙に暇がありません。だからこそ栄一は、暴走に歯止めをかける枠組みが必要だと考えていました。その手段が、本書のタイトルにもある「論語」だったのです。
論語」は、中国の春明秋時代末期に活躍した孔子とその弟子たちの言行録であり、その卓越した内容から後世、中国や日本、韓国、ベトナムなどの各国に大きな影響を及ぼしてきました。いずれの国においても、「人はどう生きるべきか」「どのように振舞うのが格好いいか」を学ぼうとするとき、その基本的な教科書になっているのがこの古典だったのです。栄一は、この「論語」の教えを実業の世界にうえこむことを試みたのです。本書のちょっと奇妙なタイトル「論語と算盤」とは、まさしくこの思想を体現しています。
資本主義が急に流入した明治の日本。「商売はもうかればいい」という風潮が生まれ、海外でも問題視されました。日本初の経済白書である「興業意見」(1884年)にこうあります。「詐欺をもって商業の本旨なりとみなさるに至れり」これを戒めるため、栄一が残した数々の造語や言葉があります。本書には、処世と信条、立志と学問、常識と習慣、仁義と富貴、理想と迷信、人格と修養、算盤と権利、実業と士道、教育と情誼、成敗と運命の項目について、現在にも通じる、胸に突き刺さる栄一の言葉がちりばまれています。
*士魂商才・・・武士の精神と商人の才能を併せ持つこと。人の世の中で自立していくためには武士のような精神が必要であるが、しかし武士のような精神ばかりでは偏って「商才」がなければ、経済の上からも自滅を招くことになる。
*自ら箸をとれ・・・かの木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)は、賤しい身分から身を起こして、関白という大きなご馳走を食べた。けれど彼は、主人の織田信長に養ってもらったのではない。自分で箸をとって食べたのである。「何か仕事をしてやろう」とする者は、自分で箸をとらなければダメなのだ。
*人生は努力にある・・・年老いてからや、逆に青年のうちでも、勉強の心を失ってしまえばその人は進歩や成長がおぼつかなくなる。と同時に、そんな勉強をしない国民によって支えられる国家は繁栄も発達もやはりできなくなる。
*貧しさを防ぐために真っ先に必要なもの・・・貧しい人々を救うことは、人道と経済、この両面から処理しなければならない。しかし今日、これに加えて政治という側面からも、行動を起こす必要が出てきたのではないだろうか。貧しくなってから直接保護していくよりも、むしろ貧しさを防ぐ方策を講じるべきではないだろうか。
*熱い真心が必要だ・・・どんな仕事でも、ワクワクするような面白みを持たなければならない。仕事をする際、単に自分の役割分担を決まりきった形でこなすだけなら、それは俗にいう「お決まりとおり」。ただ命令に従って処理するだけに過ぎない。自分の務めに対しては、熱い真心がなくてはならないのだ。
*自分を磨くのは、理屈ではない・・・「修養」−自分を磨くことは、どこまで続ければよいのかというと、これは際限がない。但し、この時に気を付けなければならないのは、頭でっかちになってしまうことだ。自分を磨くことは理屈ではなく、実際に行うべきこと。
*王道―「思いやりの道」をただ歩むだけだ・・・資本家と労働者。両者の係る事業の損得は、そもそも共通の「思いやりの道」が前提に立っていることを悟るべきなのだ。そして、お互いに相手を思いやる気持ちを持ち続ける心掛けがあってこそ、初めて本当の調和が実現できるのである。
*武士道とは実業道だ・・・武士道の最も重要な部分とは、次のようなよき習わしを足していったものに他ならない。「正義」みんなが認めた正しさ。「廉直」心がきれいでまっすぐなこと。「義侠」弱きを助ける心意気。「敢為」困難に負けない意志。「礼譲」礼儀と譲り合い。
*理論より実際・・・教育方法は、急ぐがままに、理論や知識一辺倒になりがちなっている。規律であるとか、人格であるとか、道徳や正義といったことは全く顧みられないのだ。大勢の流れの中では、これは仕方がないことだが、とても嘆かわしい。
*良心と思いやりだけだ・・・人の常に抱くべき「人道」とは、何より良心と思いやりの気持ちを基盤にしている。
次回、栄一の知らざるもう一つの顔を紹介します。(続く)

 

【都市別の外国人訪問者数、バンコクが4年連続1位】2019.10.9

 

 皆さんは、バンコクを訪れたことはありますか?最近では学生旅行や一人旅、女子旅、卒業旅行など様々な目的での旅行先として人気を集めています。それを証明するニュース。”米クレジットカード大手マスターカードは4日、年間の外国人訪問者数を都市別に比較した年次報告「世界渡航先ランキング」の2018年版を発表し、タイの首都バンコク(以下、BKK)が4年連続で1位だったと明らかにした。
 (写真左上、観光スポット・ワット・ポー)BKKの訪問者は2300万人近くで、2位の仏パリ、3位の英ロンドン(いずれも1900万人余り)を上回った。
4位から10位は順番に、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイ、シンガポール、マレーシアの首都クアラルンプール、米ニューヨーク、トルコのイスタンブール、東京、トルコのアンタルヤだった。報告は、国外を訪れることが全般的に増えていると指摘。渡航件数が2009年比で76%増加したことを明らかにした。(写真右上、水かけ祭り・ソンクラーン)また、ランキング上位10都市のうち9都市で外国人訪問者数が前年から増加した。例外となったのはロンドンで、前年比4%の減少だった。外国人訪問者による消費額の1位はドバイで、訪問者1人・1日当たりの消費額は553ドル(約5万8800円)、消費総額は310億ドル(約3兆3000億円)近くに上った。消費額の2位はサウジアラビアのメッカ、3位はBKKだった。”【2019.10.05ニューヨークAFP=時事】
最初のバンコク訪問は、1984年(約35年前)。その後、タイ工場オーデイオ・テープ生産導入、また、シンガポールにアセアン拠点設立。2001年、退職後も現地駐在員を友人と訪問。つい最近、2017年までミャンマー出張時は、必ずトランジットはBKKなど計10回以上訪問しているお馴染みの国である。(写真左上、工場訪問時)当時の最も強烈に残る印象は、「交通渋滞」。市内のホテルから工業団地内にある工場まで、通常平均1時間弱が5時間余かかった記憶がある。今でも世界最悪とも言われるBKKの交通渋滞。あれからモノレール(スカイトレイン)や高速道路など建設され、20年も経つのに一向に解決されていないというニュースについ先日出会った。(写真右上、工場訪問時)”あまりの深刻さにタイ政府は、長年続く、警察官の手作業に頼った信号システムの改革に乗り出した。選ばれたのは、日本で使われている技術だ。タイ政府や警察は今年、日本の国際協力機構(JICA)と組み、面的交通管制(ATC)システムの導入に向けて動き出した。15〜16年にJICAの協力で試行した地域で10〜15%の渋滞が解消したことが追い風になった。今回はBKKの14ケ所でこのシステムを取り入れる。だが一気に自動化を進めるのは簡単ではなさそうだ。BKKの交差点に常駐する警察官は4千人超。多くが長年勤め、自動化すれば、「居場所」を奪われかねない人々だ。また、警察官は目視や無線で渋滞状況を把握。「経験と勘」がある。警察当局も、「BKKは日本とは交通事情が違う。すべてを自動にするのは現実的ではない」と慎重だ。JICAの事業が終わる22年までに、BKKの交通はどこまで変わるのだろうか。” BKK訪問予定の方、くれぐれも「交通渋滞」を念頭に旅程を。(写真提供:元タイ現地法人駐在員)完

 

【第2回 「渋沢栄一を訪ねる旅」】2019.9.23

 

 私が初めて渋沢栄一の名前と偉業を知ったのは、神奈川放友会に入会して間もない、2013年4月。故木村勝紀さん(同窓会会長、当時)に誘われて、神奈川同窓会行事「飛鳥山へのぶらり旅」に初めて参加した時でした。(写真左;旅の仲間) 初めて「JR王子駅」に下車、渋沢栄一(以下、栄一)ゆかりの「王子製紙工場」「渋沢史料館」「晩香盧・青淵文庫」「紙の博物館」を回り、「渋沢史料館」で栄一の数々の偉業を初めて知りました。当時、次の新札の顔になるとは夢にも思いませんでした。
栄一は、大蔵省を辞した後、一民間経済人として活動。そのスタートは「第一国立銀行」の総監役(後に頭取)でした。第一国立銀行を拠点に、株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れ、また、「道徳経済合一説」を説き続けました。私たちになじみの会社が多く含まれる約500社もの企業、また、約600の教育機関・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力しました。何れも驚異的な数字であり、いかに他人のために貢献したかの証です。多くの人々に惜しまれながら1931(昭和6)年11月、92歳の生涯を閉じました。当時の平均寿命からすると倍以上長生きでした。生涯で世界の著名人、ガンジー、蒋介石等と謁見。また、すべて70歳を超えてから合計4回アメリカを訪問。さらに75歳でパナマ万博出席、81歳ではワシントン会議視察、しかも最後の渡米は82歳の時。早くから世界に目を開き見聞を広めた元祖グローバル人材だったのです。(写真右:庭園にある銅像)
昨今の日本は「自分や自分の会社が良ければ」がはびこり、国際競争力の低下、企業トップの不正・隠ぺい、セクハラ・パラハラ、児童虐待、あおり運転、学校のいじめ等々多発。栄一の「すべては人のため」とは真逆の風潮。道徳の手本となる「論語」に根差した企業活動、世界平和、充実した社会・公共事業の効率的推進・邁進した栄一。そんな栄一の意図は今こそ、再評価されるべきでしょう。草葉の陰で大いに嘆いているこのでは。混迷の今こそ生きていて欲しかった人物です。

日本実業界の父が、生涯を通じて貫いた経営哲学とは何か。「利潤と道徳を調和させる」という、経済人がなすべき道を示した「論語と算盤」は、すべての日本人が帰るべき原点です。「論語」の教訓に従って商売し、経済活動した栄一。時に暴走し、バブル景気などの惨事の歯止めとして「論語」を使った栄一。明治期に資本主義の本質を見抜き、多くの会社設立を成功させて彼の言葉は、指針の失われた現代にこそ響く。経営、労働、人材育成の核心を突く経営哲学は色あせず、未来を生きる知恵に満ち溢れています。次回、「論語と算盤」から栄一が残した現代にも通じる数々の造語や胸に突き刺さる言葉、知らざるもう一つの顔などご紹介します。(続く)

 

【第2次大戦開始80年式典(ポーランド)】2019.9.2

 

 ナチス・ドイツが1939年にポーランドに進行して第二次世界大戦が始まってから80年となる1日、同国の首都ワルシャワで記念式典が行われた。同国のメルケル首相や米国のペンス副大統領が出席する一方、ロシアのプーチン大統領は2014年のウクライナ危機などを理由に招かれず、主な連合国側が揃った10年前の式典と様変わりした。式典でシュタインマイヤー独大統領は「我々は我が国が犯した罪を忘れず伝えていく」とし、「ナショナリズムの高まりを、人々への憎悪を二度と繰り返してはならない」と語った。トランプ米大統領はハリケーン災害への対応を理由に出席を見送った。一方、プーチン氏が招待されなかったのは、ウクライナ南部のクリミア半島をロシアが併合したことが「不戦を誓う式典にふさわしくない」とポーランド(以下、ポ国)が判断したためだ。<中略> 一方、欧州側では「自国第一主義」の広がりで、自国の被害を強調する動きがある。ドイツが過去の協定などで「解決済み」とする損害の賠償を求める動きも、ポ国やギリシャなどにある。(2019年9月2日朝日新聞 朝刊より)2019年7月3日 本欄投稿【日本との国交樹立100年】に続いてのポーランド。話題の多い、気になる国である。前にも述べたが、2000年2月、約3週間、日本生産性本部 (JPC ; Japan Productivity Center)からの業務委託で「ポ国中小企業復活・復興」に関するコンサルティングミッションに従事した。
同国で最も印象深い思い出、忘れられない人・家族がいた。名前、出身地など忘れたが、日本人のポ国語通訳であった。現地の女性と結婚、かわいい娘さんが一人いた。

休日に「ユダヤ人捕虜収容所跡」、「ユダヤ人墓地」などを案内してもらった。冬空のように、暗く悲しい気分になった。そして、自宅に招待され、珍しい郷土料理をご馳走になった。極寒の地、日本とは全く環境が違う中で、車を盗まれ、脅迫をされ、家を転々と変えたなど想像を絶する体験、苦労話を聞いて胸を痛めた記憶がある。今も家族と共に彼の地に居るのだろうか。完

 

【旅行者にとって世界一物価の安い国(ブルガリア)】2019.8.2

 

 イギリスのオンライン旅行ポータルサイトのHoppaが面白いデータを公開しています。2017年,彼らの調査によれば世界で旅行者にとって物価が一番安い街はヨーグルトで有名なブルガリアのソフィアだそうです。中国や東南アジアより安い・・・なんか信じられないのですが。一番高いチューリッヒだと平均で1日にかかるコストがホテル込みで約2.4万円に対し、ソフィアだと(たったの!)5400円だそうです。2位はニューヨーク、8位にホノルル、東京は17位だそうです。ところで、ブルガリアの国旗は、混乱しがちな3色旗、イタリアではありません!ソフィアのニュース通信社では、ブルガリア人気リゾート、Sunny beachを”the Cheapest Tourist Destination in the World”として紹介しています。ただHoppaのサイトでは、特にSunny Beachの記載はなく、ソフィアがThe cheapestというイメージがつくのを嫌い、うまくSunny Beachに転嫁したのかもしれません。(真偽は不明ですが) ただいずれにしても、ソフィアが旅行者にとってかなりお買い得な街である事には間違いありません。 まだまだ知られざる観光資源が眠る国、ブルガリア。ランキング上がる前(!?)に訪れてみてはいかがでしょうか? ちなみに、このHoppaではホテル、飲食、タクシー、観光バスツアー、世界のアトラクションを細かく比較しています。興味のある方はチェックしてみてください。
1982年2月、S社現役時代、東欧、アフリカ諸国を約1.5ヶ月かけ、「新市場開拓」で出張。その時、ブルガリア・ソフィアを訪問しました。結局、いい相手先が見つからず、新市場進出はなりませんでしたが、小都会ソフィアの印象は今でも鮮明に残っています。当時は空港から街への移動手段はバスかタクシーしかなく、旅行者にとってはアクセスの悪さが問題となっていました。しかし念願の地下鉄が、2015年ついに開通!今では格段にスムーズに街まで移動できるようになっています。ホテル周辺の街並みも、ドイツやオーストリアと言われてもわからないような西欧風でした。街を行きかう人々の衣装は地味で黒っぽいものが多かった。(冬だから?)今も変わらずシックで、静かなたたずまいは変わっていないと思います。市内観光の際に立ち寄ってみた教会の大聖堂はソフィアの街のシンボルにもなっています。黄金のドーム型の屋根は45メートルの高さがあり、遠くからも容易にその姿を見つけることが出来のもよく覚えています。完

 

【日本との国交樹立100周年(ポーランド)】2019.7.3

 

 ポーランド共和国(以下、ポ国)は、「平原」という意味をもつ国名のとおり、森や湖など手つかずの自然が残された美しい国。王国の形成は10世紀。16〜17世紀には「ポーランド=リトアニア連合」としてヨーロッパ最大の領土を誇った。コペルニクスが地動説を発表するなど、クラクフ大学を中心に文化が育まれた。ピアノの詩人ショパンの祖国である。日本との国交樹立100周年を迎えたポ国を公式訪問中の秋篠宮ご夫妻は、大統領を表敬訪問。秋篠宮さまは、紀子さまが学生時代にポ国を訪問されている一方、ご自身は今回が初めての訪問であることなどを話された。また、秋篠宮さまは、平成14年に上皇ご夫妻がポ国を訪ねられたことや両国の交流の歴史に触れたうえで、「国交樹立100周年を契機として日本とポ国の友好親善関係が一層進展することを願います」と述べられた。(2019/07/02 NHK NEWS WEBより)
2000年2月、約3週間、日本生産性本部からの業務委託で「ポ国中小企業復活・復興」に関するコンサルティングミッションに従事。メンバー3人で工場視察、改善提案。最後に、生産性向上、マーケティング強化、5S推進活動などセミナーを開催。(写真;工場視察)当時のポ国工場設備は、日本では自動化、ロボットになっており、既に破棄され見られない、大きな鉄の塊群。大きな工具、道具を使ってすべて手作業。昔、観た方は覚えていると思うが、チャップリン「モダンタイムズ」を彷彿とさせる工場、大きな歯車、まさにそのもののようであった。今は懐かしい風景だった。
ミッション終了後、ポ国の京都「クラクフ」と大作曲家「ショパン生家」訪問。ショパンは、ポ国の前期ロマン派音楽を代表する作曲家。当時のヨーロッパではピアニストとしても有名であり、作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占めているため、「ピアノの詩人」ともいわれている。彼の生家は、ワルシャワの郊外にあり、広大な緑溢れる庭園の中にひっそりと建っていた。(写真;庭内のショパン胸像と)園内には彼のピアノ曲が流れ、ショパンを感じた。残念ながら、19世紀初頭の当時の建物は消失してしまっていたが、家具や内装は、彼が生まれ育った当時のまま忠実に復元され、今も一般公開されている。生家の周りは、ポプラ並木の続く長閑で美しい公園として整備されていて、訪れた人々を癒してくれる空間になっている。訪れる機会があれば是非足を延ばしてほしいお薦めのスポット。完

 

【「長時間労働がない」ドイツと日本の致命的な差】2019.6.8

 

【世界最良の空港はチャンギ(シンガポール)】2019.4.22

 

【世界の幸福度ワースト2(中央アフリカ)】2019.4.8

 

 国連の関連団体が『世界幸福度ランキング 2019』を発表した。各国の国民に「どれくらい幸せと感じているか」を評価してもらった調査に加えて、GDP、平均余命、寛大さ、社会的支援、自由度、腐敗度といった要素を元に幸福度を計る。1位は2年連続でフィンランドだった。トップ10のうち半数を北欧諸国が占めている。よく知られているように、北欧諸国は社会保障が手厚く、質の高い教育をしている。日本は昨年から四つ順位を下げ、156の国・地域のうち、過去最低の58位にとどまった。主要7か国(G7)では最も低く、台湾(25位)や韓国(54位)にも及ばなかった。1人当たりの国内総生産(GDP)や社会支援、健康寿命、社会的自由、他者への寛容性、汚職のなさなどを基に156カ国の順位を決定したもの。日本は健康寿命2位だったが、「選択の自由度、他者への寛容性」など他の集計項目の順位が低くかった。フィンランドは、緑が多く親しみやすいこと、安全性、子育てや医療への手厚い補助、無償教育などが国民の幸福につながっていると評価された。
他方、ほとんど注目されないワースト10。1.南スーダン 2.中央アフリカ共和国 3.アフガニスタン 4.タンザニア 5.ルワンダ 6.イエメン 7.マラウィ 8.シリア 9.ボツワナ 10ハイチ。南スーダン、シリアなど現在戦争中の国、最貧国である。その中で唯一行ったことがあるのが、No. 2の中央アフリカ。世界の最貧国、1人当たりGDP比較で世界最貧国 No.1。同国の年間平均所得 656ドル(約73,000円)。その名前から分かる通りアフリカ大陸のど真ん中に位置する共和制の内陸国。頻発するクーデターにより国内情勢が常に不安定で、経済が疲弊したまま回復できずにいる。今から約50年前、S社現役時代に現地協力工場視察で首都バンギを訪問した。海外経験豊富な人でもアフリカに行った日本人は少なく、まして中央アフリカに足を踏み入れた日本人は皆無では。
当時も人々は極貧状態。牛の糞と泥で作られた家に住み、衣食足りず、治安も悪かった。今も昔のままの状態で、時計が止まったまま今日に至っている訳である。まさに現代の奇跡、信じられない思いである。3日間の出張予定が、飛行機の突然の「ドタキャン」で、1週間滞在する羽目になった。訪れる外国人はおらず、当然、外国人向けホテルやレストランもなかった。ホテルで出された肉が生まれて初めて食べたウサギの肉。ひどい下痢となり、冷房のない、暗い部屋でひたすら寝ていた。マラリア菌を持った蚊(ハマダラカ)が飛び交い、壁・ベッドには無数の蚊の血が付いていた。今、思い出しても私にとって、『世界・最悪の国』。いい、楽しい思い出は何もない。幸い、二度と行く機会がなかった。このニュースを見て、同国の『悪夢』を改めて思い出した。50年後の今も世界最貧国No.1。アクセスも悪く、海外からの投資もない。さもあらん、納得の順位である。完

 

【2019年に訪れるべき19の旅行先(アクラ、ガーナ)】2019.3.18

 

 世界的宿泊施設予約サイトAirbnbが先日公表した「2019年に訪れるべき19の旅行先」その中で日本では唯一和歌山県が選ばれた。同県は、Airbnbでの予約が前年比128%増となり、注目を集めている。日本仏教の聖地である高野山、国内最大の露天風呂である川湯温泉の仙人風呂、那智の火祭り等々楽しむことができるのが評価された。和歌山県を含むAirbnbが選出した19の旅行先は以下の通り。1.カイコウラ(ニュージーランド)2.ウィッシュリスト(中国)3.プエブラ(メキシコ)4.ノルマンディー(フランス)5.グレート・スモーキー山脈国立公園(アメリカ)6.ブエノスアイレス州(アルゼンチン)7.アクラ(ガーナ)8.モザンビーク共和国9.アウター・ヘブリディーズ(スコットランド)10.和歌山県(日本)以下略。2019年はこれらの旅行先を参考に、新たな旅に出てみてはいかがだろうか。
意外と言えば、失礼か。7位のガーナのアクラである。新興地域において住民と旅行者に利益をもたらすプロモーションなどを行っており、Airbnbユーザーにとっても魅力ある旅行先となったようだ。ガーナ共和国は、西アフリカに位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国。東にトーゴ、北にブルキナファソ、西にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。首都はアクラ。現在はカカオで有名なガーナ。かつては金と奴隷の輸出で栄えた国。17〜19世紀にガーナの内陸部に存在していた「アシャンティ王国」は、奴隷貿易で大いに繁栄した。ここで、「なぜ奴隷貿易でガーナが繁栄するのか?」という素朴な疑問が浮かぶ。奴隷貿易というと、「白人が黒人を売買する」というのが一般的なイメージ。ところが実際の奴隷貿易では、黒人たちがほかの部族の黒人を捕まえ白人たちに売っていたのだ。植民地時代、金の産地であったこの地域は「ゴールドコースト」という名で呼ばれていた。
同国でユネスコに登録されている世界文化遺産は2つ。その一つがケープコースト。ガーナのセントラル州の州都。ケープコーストのシンボル「ケープコースト城」。首都のアクラからは車で3時間ほど。帰国前、同地を訪問。荒々しい波の大西洋、大勢の若い白人観光客、女性奴隷牢屋に掻きむしった壁の無数の爪痕を今も鮮明に覚えている。2006年〜2007年、JICA案件『地場産業活性化計画プロジェクト』生産性向上専門家としてガーナを7回訪問。現場は北方、隣国ブルキナファソと国境に接しているドアラという小さな村落。「シアナッツ」からシアバターを造る超零細企業指導。外国人向けのホテル、レストランもない劣悪な環境下での仕事・生活。アクラに戻るのが何よりの楽しみだった。 完

 

【歴史ある国で歴史あるミッション(ベトナム)】2019.3.4

 

 トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長が2月27日、28日ベトナムの首都ハノイで会談した。米朝首脳会談は2018年6月にシンガポールで初めて開いて以来、約8カ月ぶり2回目。停滞している北朝鮮の非核化の具体的措置と米国の見返りを巡り開催。第一回の初会談で両首脳は(1)新しい米朝関係の確立(2)朝鮮半島における平和体制の構築(3)朝鮮半島の完全な非核化――を柱とした共同声明に署名した。その後、米朝の非核化交渉は膠着状態にあった。
今回の両国具体的なミッション;米国は、北朝鮮の「完全な非核化」。そのために見返りとして、1)人道支援再開(食料支給、制裁解除)2)朝鮮戦争終戦宣言(現在は休戦状態)3)経済協力支援(ケソン工業団地、金剛山観光再開)などを想定。他方、北朝鮮のミッションは、政治的、経済的な「制裁解除」であった。だが、制裁完全・一部解除と非核化に隔たり大きく、最終的には両国の合意に至らず「決裂」という結果なったのは周知のとおりである。かって、米国はベトナムと戦争、北朝鮮は祖父(金日成)の歴訪など「歴史ある国での歴史ある会談」。図らずも、私にとっても「ベトナムは歴史ある国」である。
私が初めてJICA(国際協力機構)の仕事でベトナムのハノイ、ホーチミンに行ったのは1999年2月、丁度20年前であった。私のミッションは、短期専門家として、「ベトナム中小企業輸出振興セミナー」で講演することであった。ベトナムの著しい経済発展の要因は、昔も今も変わらぬ日本からの人材派遣、技術移転、設備輸出などの支援・協力の賜物と確信している。(勿論、ベトナム人の真面目さ、器用さなどもあるが)そして、JICAとの初めての出会いの場だった。
私にとって、JICAビジネスは、まず第一に、高待遇、国内線(ハノイーホーチミン間)でもビジネスクラス等。第二に、S社現役時代とは違った興味深い、魅力的でエキサイティングな仕事。第三に多種・多様な企業・メーカーとの遭遇。第四に、風土・社風が異なる他社メンバーとの協働・交流。最後に、グローバルな舞台での活躍。以来、ベトナムを皮切りに延べ約20年間、7回、東欧、中南米、アフリカ、アジア地域でJICA専門家・ボランテイアとして係る切っ掛けとなった。完

 

【世界で2番目に美しい書店(ブエノスアイレス)】2019.2.18

 

 南米アルゼンチンのブエノスアイレス(Bs As)に、世界で2番目に美しいと言われている本屋があるのをご存知ですか?サンタフェ通1860番地にあるエル・アテネオ・グランド・スプレンディッド(El Ateneo Grand Splendid)書店は、ラテンアメリカでもっとも重要な書店であり、英国のザ・ガーディアン誌によって「世界で最も美しい書店」第2位に選ばれています。ちなみに第1位は、オランダ・マーストリヒト市の「セレクシーズ書店聖ドミニカ教会店」。(ステージがカフェ)
同店は1912年創立のアルゼンチンで一番老舗の書店です。Bs Asのフロリダ通りの本店以外にアルゼンチン中に8軒の支店があります。全ての支店がそれぞれ素敵な本屋なのですが、その中でも傑出し、現在はBs Asの観光名所の一つとなっているのが、レコレータ地区の中でも中心地であるサンタフェ大通りとカジャオ大通りの角から10mの同店です。(入り口はギリシャのパンテオン風)
1919年にオーストリア人建築家マックス・ブルックスマンによって建てられたこの建物は、元々はグランド・スプレンディッドという劇場でした。当時はコンサートや映画上映が行われ、タンゴ歌手のカルロス・ガルデルなどもコンサートを行ったと言われています。円天井画の平和のアレゴリーは、ナザレノ・オルランディが第一次世界大戦終戦を機に描いたもの。劇場が書店として新しく生まれ変わったのは81年後の2000年。(円天井画がある店内)
この書店の魅力のひとつが、ボックステラス席をそのまま残し読書スペースにしていること。好きな本を手に取り、腰を掛けじっくり本を吟味することができます。また、ステージ部分はカフェスペースになっていて、壮麗な建築空間をゆっくり味わいながら休憩できます。計12万冊を所蔵するこの巨大書店には毎日約3000人が訪れます。サイン会、作家レクチャー、コンサートなどの文化イベントも頻繁に行っています。やや中心部からは距離がありますが、地下鉄D線のCallao駅が近くにあるほか、エビタの墓地や高級住宅街レコレータや世界三大劇場のひとつコロン劇場からも歩いて15分くらいなので、私は徒歩で訪問しました。(コロン劇場の前にて)完

 

【1人当たり支出1位オーストラリア、中国を抜く】2019.2.4

 

 大坂なおみの優勝という快挙の記憶がまだ生々しい全豪オープンテニス大会。そのオーストラリア(豪州)に関するリバウンド統計リポートで訪日客の今を追う興味深いニュースが目に留まった。2018年の訪日客数は初めて3000万人を突破し、3119万人となった。この5年で3倍になり、このままのペースで訪日客が増えれば、政府目標の『2020年に4000万人』が達成できそうだ。アジアからの訪日客が好調。中国が838万人、初めて800万人台に達した。東南アジアではタイが113万人と初めて100万人を突破。前年比でみるとベトナムが26%増、伸び率トップ。ロシアからも23%増、ビザを緩和した効果が継続し客数が伸びた。因みに、豪州人来日客は50万人。
2018年訪日客数の旅行消費額は4兆5064億円とともに過去最高を更新した。1人当たり支出では豪州が首位で、17年にトップだった中国を抜いた。夏から秋にかけて台風被害や北海道地震の影響が出たが、年末にかけて需要が回復した。1人当たり旅行支出は0.9%減の15万2594円。前年に首位だった中国は2.9%減の22万円で4位に落ちた。首位はオーストラリア24万円、2位スペイン23万円、3位22.5万円のイタリアが続いた。
他方、2016年豪州を訪れた日本人は41万2千人。これは国別訪問者数で第6位。2015年と比較して22.7%増。かって、1990年代には日本からの訪問者数は1位で、今はどうか分からないが日本人専門の免税店が各地にあり、日本人観光客相手の現地ツアーの全盛期だった。41万2千人の内訳は、ホリデーを楽しむ目的の人65%、友人や親戚を訪ねる人9.5%、ビジネスで訪れる人10%等々。丁度、この時期、S社現役時代、勤務地や職場は別々だが、同期入社、自分の女房より付合いの長い連中6名で『観光&ゴルフツアー』に行った。ツアーは計7日間。うち3日間色々なゴルフ場、大自然と野鳥、カンガルーがいたゴルフコース等でのプレイは日本では経験できない貴重な体験だった。完

 

【汚職ランキング91位(ボスニア・ヘルツェゴビナ)】2019.1.10

 

 かって東欧共産圏の独裁体制を経験したユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナ。どこにあるのかを知っている人は少なく、まして訪問・滞在した人はいないのでは。東ヨーロッパのバルカン半島北西部に位置する共和制国家。首都はサラエボで、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国のふたつの構成体からなる連邦国家でもある。人口約400万人(2013年)ほぼ三角形の国土を持ち、国境のうち北側と南西側2辺でクロアチア、東側1辺でセルビア、モンテネグロと接する。ユーゴスラビアからの独立時、独立の可否や国のあり方をめぐってボシュニャク、クロアチア人、セルビア人がそれぞれ民族ごとに分かれてボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で戦った。
順位国名
57クロアチア(EU加盟国)
64モンテネグロ
71ブルガリア(EU加盟国)
77セルビア
85コソボ
91ボスニア・ヘルツェゴビナ
107マケドニア 私は2001年3月から国際協力機構(JICA)の内戦後の「復興・復旧支援・中小企業振興プロジェクト」に従事。3ケ月間同国北西部バニャア・ルカに滞在した。最近の新聞によると、同国がバルカン半島にある主な国々の「汚職ランキング91位(180ケ国中)」国際NGO(トランスペアレンシー・インターナショナル)の2017年の数値。順位が低いほど汚職が深刻。欧州最低レベルとされる。また、政治腐敗を追及しているジャーナリストや一般市民が不審死や行方不明になる事件が多発しているというニュースにショックを受けた。
当時の同国印象は、「美人が多い。貧しいが、心豊か。義理人情が通ずる人々」仕事のペースはスロー。現地の人々は、すぐ「バルカン・スタイル(Leisurelyゆっくり、のんびり)」という。(彼ら自身でも公言し、認識している)。当時、6年前に内戦が終わったばかりで、市内外には戦争の生々しい傷跡が残り、当時未撤去地雷で年間20人死んでいる記憶があった。しかし、人々は復興に必死の様子だった。(写真:銃弾の後生々しい民家)
滞在中に、中年女性のジャーナリストと友達となった。彼女はジャーナリスト歴20年のインテリー。彼女より聞いた話;内戦は、1992年4月6日に始まり,1995年12月27日に終わった。(さすが、ジャーナリストは年月日まで正確記憶していたのに感心!)主な原因は、経済,宗教,政策の格差・違いによる戦争だった。内戦による難民・避難民は220万人,死者は、20万人、特に19〜22歳の若い兵士の死者は、バニャア・ルカでは、13,000人,サラエボでは、100,000人だった。同国政治家や官僚、民間人が過酷な内戦を乗り越え、額に汗を流し、ひたむきに復興に励んだ当時を思い起こし、目指すEU加盟の一日も早い実現を遠い日本より心から祈っている。完

 

【真夏のクリスマス&お正月(アルゼンチン)】2018.12.25

 

 南半球でクリスマスシーズン。体験された方もいると思います。私が初めて迎えた時は、人生初なのですべてが新鮮でした。日本でクリスマスと言うと、冬の寒空に輝くイルミネーション、街に流れるクリスマスソング、恋人たちの一大イベント・・というイメージをお持ちの方も多いのではないでしょうか?ですが、南半球に位置するアルゼンチン(以下,亜国)は日本とは季節が逆転するので、12月は冬ではなく夏。なので真夏のクリスマスとなり、日本とは気候も祝い方も大きく異なります。ということで、日本とは異なる亜国でのクリスマスの様子をいくつかご紹介します!
・お正月よりもクリスマスが大事!
まず大きく言えることが、お正月よりもクリスマスに重点が置かれているということです。亜国人にとって、クリスマスは一年で最も大切な祝日。11月頃から繁華街やショッピングセンターはクリスマス商戦モードとなり、家族や友人にプレゼントを選ぶ買い物客でにぎわいはじめます。小中学校は12月1〜2週目を目途に一年で一番長い「夏休み」に突入。オフィスも12月中旬〜22日頃に年末年始休暇に入り、年明けは、1月2日〜3日には営業再開します。日本で言う「三が日」の感覚はありません。
・亜国のクリスマスはアクティブ&アットホーム
滞在時、所属先のカウンターパートのホームパーテイーに招待されました。家族、親せき、娘や息子の恋人なたちが大集合。日本の年末の帰省や、お正月の親戚の集いのようなもの。お正月に親戚一同が集まると、日本ではお年玉をあげるのが慣習ですが、亜国ではクリスマスプレゼント。それも子供に孫に・・と大人数分を用意するので一苦労です。中には「20人以上分用意するから、一年前から各シーズンのセールを狙って買いためているわ!」という人も。
・職場では「忘年会」ではなくて「クリスマスパーティー」
日本では12月になると忘年会ラッシュですが、亜国でもクリスマスパーティーラッシュになります。大きな会社はパブやホテルのファンクションを貸し切り、華やかなパーティーに。配属先では金曜日午後から夕方までの昼間のパーテイ―でした。総員90名のうち、約60名が参加しました。玄関ホールでの円卓を囲んでのランチ形式でしたが、大人数のため、冷房もほとんど効かず汗をかいてのパーテイ―でした。当国では日本の偉い人たちが何人も延々と面白くないスピーチをする宴会と全く異なり、司会もおらず、乾杯や開会の辞もなくいつの間にか始まり、いつの間にかに終わるというスタイルです。その他、ビーチや公園で遊んでくつろぐ、クリスマス料理など日本と多々異なる様子があります。完

 

【インパール 霊碑の旅(インド)】2018.12.8

 

77年前の12月8日に始まったアジア・太平洋戦争。火ぶたを切ったのは、ハワイの真珠湾攻撃ではなく、英領だったマレー半島北東海岸のコタバルでの奇襲上陸だった。「援蒋ルート」の遮断を主目的とし、ビルマ(現ミャンマー)からイギリス軍の拠点があったインド北東部のインパールの攻略を目指した日本軍は、この作戦で歴史的敗北を喫したことは、テレビや本でよく知られている。餓死・戦病死した日本兵の死屍累々が並んだ道が「白骨街道」と呼ばれるほど凄惨な戦いの実態はどのようなものだったのかその作戦に参加した元日本兵(98歳)は、ビルマで展開されたインパール作戦にも従軍し、餓死した多くの日本兵を目撃した。「あの山の惨状は本当にひどいものだった。無謀な戦争だった」と振り返った。「軍部を恨む。(インパール作戦を遂行した)将軍たちはみんな責任も取らずに、その後出世した。多くの兵士を殺しておいてそんなばかなことがあるが、戦争はいかんですよ」。想像を絶する、忘れられない光景の話は、胸を締め付けられる。相手の戦力や兵站を軽視した無謀な戦いで甚大な死傷者を出し、旧日本軍の体質を象徴的に示したとされる「インパール作戦」。さらに、新たに見つかった一次資料や作戦を指揮した将官の肉声テープなどから「陸軍史上最悪」とされる作戦の全貌が浮かび上がってきた。アジア太平洋戦争で亡くなった軍人・軍属は約230万人。その過半数が餓死だったといわれている。『朝日新聞』2018年12月8日
実は、約5年前(2013年2月)、11年間インドに在住・在勤しているS社後輩からW近いうちに日本に帰国することになった。いる間にインパールに行ったらどうか。インドを旅行する日本人は多いが、インパールまで行く人はほとんどいない。Wという有難い誘いがあった。旧ビルマ・インパール作戦の退却路にできた白骨街道での慰霊の旅は、日本軍が歩いた同じインパールからコヒマまでの行程をジープで5時間かけて走破する計10日間の行程だった。当時は道もなく、重い装備や荷物、牛、山羊、羊などの家畜と共に、行く手を阻むジャングルや急峻な地形を行軍した兵士、食糧・弾薬共に欠乏した状況を思い起こすと想像に絶する。
特に、強く心に残ったのは大きな岩の下に集団で埋められた粗末な日本軍慰霊碑とテニスコートもあった跡地にきれいに整理・整頓されていた英印軍の立派な公園墓地。さすが、「ゆりかごから墓場まで」の英国との差に愕然とした。そして、我々は慰霊碑に日本から持参した「日本酒・するめ・ロウソク・線香」で手を合わせ、心より冥福を祈った。記念すべき今日の日、平和な日本で「面接授業」で勉強できた幸せを噛みしめた。完

 

【腐敗した警察官(アフリカ)】2018.12.5

 

 つい最近の新聞記事。取材中記者のコンゴ民主共和国東部ブカブでの出来事;検問でルワンダの運転手免許証や保険証に不備はないはずだが、「カネを払わないと通さない」と言ってきた。仲間の警察官二人も加わり、取り込まれ“刑務所に入れるぞ”とすごまれ渋々60ドル(約6,800円)を支払った。翌日も別な場所で「生活に困っている」と警察官に言われ40ドル払わされた。過積載の車を運転していた地元の市民も警察官にカネを渡していた。その住民から、「犯人を取り締まり、市民を守るはずの警察官が腐敗している」と聞いた時、その言葉に大きくうなずいた後、やや絶望的な気分になった。この記事を読んで「約50年前と変わっていないなぁ!」「さもありなん!」という二つの感想が浮かんだ。当時、私が体験した出来事と全く同じだった。
S社工場はナイジェリア、ラゴス郊外にあり、市内に行くには車で20〜30分掛かった。工場用工具・備品、消耗品等を購入するために自分で車を運転して出かけた。当時道路に信号機はなく、交差点で警察官が手信号で誘導していた。ある時、警察官が左手でストップ、右手で進めの手信号した為、一瞬車を止めた。そしたら警察官が寄ってきて助手席に乗り込み“お前は俺の手信号を無視した。よって、今から警察本部にいき罰金 200ドル(約6万円、1ドル/300円換算)払ってもらう”といった。そして警察官は“俺に50ドル(約 1.5万円)渡せば今回は見逃してやる”といった。こちらは急いでいたし、早くこの場を逃れたいという気持ちで 50ドル渡した。あとで当地滞在中の日本人に話したところを日本人を含め外国人に対しわざとわからないで手信号にして金を巻き上げていると聞いた。そのあとも道を変えて街に行ったが、その警官がいて、走っている車やバイクを止めて追っかけてきて,毎回50ドル取られた。顔を覚えられてしまったのだ。最後は自分で運転をするのをやめ工場従業員に運転させた。それでも捕まったが、この場合10ドルで済んだ。当時は約1,000人を超える在留邦人がいたが、現在は150人前後まで減少している。外国人を狙ったテロや誘拐事件等治安上の問題、ナイジェリアを本拠地とする国際詐欺団による被害が後を絶たないことが、日系企業がこの国から離れ、新たな進出が進まない原因と考えれれる。
今、ナイジェリアは石油産出国でありながら国民の2/3は極貧状態であるという。この石油を巡る利権、そして石油生産によって引き起こされる環境汚染を通じても、武装闘争が行われるようになり、治安悪化の原因となっている。実は、ナイジェリアは、世界でも有数の政治が腐敗している国(2009年の腐敗度は、世界ランキングで130位)なので、せっかくの石油が国民まで還元されてない。200名以上の女生徒が誘拐された事件は記憶に新しい。拉致したのは、イスラムの過激派、「ボコ・ハラム」だが、拠点となっているのは、ナイジェリアの北東部。世界最悪治安の悪い国の一つに挙がっている。
多くの日本人は,「アジアも南米もそれなりに発展にしているのに、なんでアフリカだけ戦後70年ずつと暗黒大陸なわけ」「なぜ、アフリカにおける国際援助はここまで実を結ばないのか」「最大産業である“国際援助(ODA)獲得産業”を超える他の産業が生まれないのはなぜか」「なぜ、アフリカには長期的な国家建設を私利私欲に優先するリーダーが出てこないないのか」等々、疑念を持っている。これらが解決するにはあと100年余掛りそうだ。完

 

 

【都市別国際会議の開催件数、バルセロナ3位、東京17位】2018.11.24

 

 2025年、約半世紀ぶりに大阪国際博覧会(万博)が開催されることになった。開催地に決まった大阪湾の人工島・夢洲(ゆめしま)(大阪市此花区)は、大阪府・市がカジノを含む統合型リゾート施設(IR)の誘致も目指している。万博の開催期間は5〜11月の半年間。経済効果は一過性だ。これに対しIRは、カジノに加え国際会議や展示会の会場、大型ホテル、劇場などエンターテインメント施設などが将来数十年間にわたって継続運営される。短期間に大きな経済効果をもたらす万博と、恒常的に運営されるIRがともに夢洲へ実現すれば、相乗効果により大阪湾岸地域の開発や活性化に大きな弾みがつく。
観光庁HPにて国際会議協会(ICCA)統計による2016年の国際会議開催件数を都市別で見ると、1 位パリ(196 件)、2位ウィーン(186 件)、3 位バルセロナ(181件)、4 位ベルリン(176 件)、5 位ロンドン(153 件)、6 位シンガポール(151 件)(右図参照) 因みに、東京は17位、大阪は100位以下。10年に2件のIRを開業したシンガポールでは、国を訪れる外国人客が約8割増加。国際会議の開催件数も5年で23%増えたという。万博開催により東京・大阪での国際会議開催の順位上昇が期待される。
意外なのは、3位のバルセロナ。世界屈指の観光都市で毎年多くの観光客が訪れるバルセロナ。サグラダファミリアが特に有名だが、それ以外にもグルメ、スポーツ、アート、ファッションと様々な角度から旅行者を魅了してやまない。会議だけではなく、観光、ショッピングなども重要な要素であることを示している。
約47年前、アフリカ駐在中、”スペイン製完成品最終検査”の為、スペインで年末年始をいう本社の配慮か、バルセロナに出張した。街中イルミネーション、ツリーのデコレーション、クリスマス一色、一年で最も楽しみな休暇の目前。工場スタッフ、従業員も仕事どころではなかったが、劣悪なアフリカからの遠来の来訪者にパーティーを開いて温かく迎えくれた。本資料を観て当時を懐かしく思い出した。完

 

【アコンカグアは「富士山の2倍!」】2018.11.16

 

 冒険家でプロスキーヤーの三浦雄一郎さん(86歳)が来年1月、南米大陸最高峰アコンカグア(標高6,962m)の登頂とスキー滑降に挑むという。アコンカグア(Aconcagua)は、アンデス山脈にある南米最高峰の山である。またアジア以外の大陸での最高峰でもある。チリ国境近くのアルゼンチン西部に位置し、チリのサンチャゴ、アルゼンチン(以下、亜国)のメンドーサがゲートとなる。山名は現地語で『岩の番人』という意味。名前の通り巨大な岩塊の山。私たちの身近な山である、標高3,776mの富士山と比較してみると、標高約2倍!!想像もつかない大きさだ。
初登頂は、1897年1月14日、スイス人ガイドのマティアス・ツールブリッゲン。1953年1月26日、早稲田大学遠征隊が日本人初登頂。1968年2月に植村直己が登頂した。アンデス地方特有の「ビエント・ブランコ(白い風)」と呼ばれる悪天候に見舞われると難しくなる。それ故、登頂成功率は30%と、決して高い数字ではない。80歳で世界最高峰エベレスト(8,848m)に登頂した三浦さんだが、アコンカグアに10回以上の登頂歴がある山岳ガイドは"成功は体調次第だろう"と言っている。
約40年前、初めての訪亜時、機中より雲より高く、万年雪に覆われたアンデス山脈とアコンカグアを見て深く感銘した。そして、8年前、アンデス山脈をサンチヤアゴ・ホテルから目前で見る機会を得た。駐在していたコルドバ・テニスクラブメンバー5名でテニス合宿に参加したのだ。実は、チリ・プジェウエ山が噴火、火山灰を上空15,000mまで大量に噴き上げた。この噴火により、近隣空港が閉鎖となり、JICA規定により「チリ渡航禁止」が続いていた。幸運にも、直前にやっと「解禁」チリ行きが実現した経緯があった。コルドバから飛行機でブエナ・ビスタ(首都サンチヤアゴより北方60q)、そこからレンタカーでサンチヤアゴへ。テニスと魚介類、観光を楽しむ7泊8日の旅程だった。肉しかない亜国では滅多に口にすることができない、新鮮なカキ、カニ、ウニ、エビ、ムール貝、アワビなどをチリ名産白ワインと連日連夜堪能した。長い海外・中南米滞在の中で、最も想い出深い『チリ・テニス合宿』だった。完

 

【移民キャラバンとエルサルバドル】2018.11.7

 

 周知のとおり、去る10月31日、エルサルバドルほか中米をを出発した「移民キャラバン」(推定9,000人余)は"大勢なら安心"と米国を目指して歩いている。先頭集団はすでにメキシコ中部に到達。たとえ、米国に辿り着いてもほぼ入国できないというのが大方の予想である。米国はメキシコ国境沿いに米軍 10,000 〜15,000人を派遣し、阻止する構えだ。過去 3000人到達、入国申請 400人、認可 3人という厳しい実績がある。人々はなぜ米国を目指すのか、エルサルバドルなど中米は、仕事もなく貧困、治安が悪化しているからである。つい先日も、グアテマラで金品目当ての強盗に日本人女性2人が死傷する事件があったばかりだ。新聞記事によると、ある若いエルサルバドル男性は「建設作業などしていたが、日給は10ドルにも満たなかった。妻と子供のために米国に行きたい、仕事をすれば暮らしていける新しい未来が欲しい」。おおかたの移住希望者の思いも似たようなものだろう。世界で最も治安が良いともいわれる日本に住む我々からは、とても想像できない。ある統計によると、世界で最も危険な殺人が多い都市; NO.1カラカス (ベネズエラ)、No2.サン・ペドロ・ス−ラ(ホンジュラス)、No.3サンサルバドル(エルサルバドル)。今から 40年前(1978年)現役時代、中米諸国;パナマ、ニカラグア、エルサルバドル、ホンジュラス、グアテマラを北上しメキシコに出張した。S社協力工場があったサンサルバドルにも初めて行った。当時、政府軍とゲリラの内戦状態にあった。ちょうどゲリラに日本企業「繊維工場長」誘拐後殺害された数日後だった。週末、現地工場長とテニスをしている最中、政府軍の武装ヘリコプターが頭上を飛び交うアンバランスな状況を今でも鮮明に覚えている。ユダヤ人である彼は少年時代、同国スカッシュ・チャンピオンだった。テニスだけではなく仕事でも有能。幼少時代の友人であった同国大統領補佐官を務めたとも聞いた。また、会社オーナー息子が誘拐された時は、「交渉人」を務め無事救出した。エルサルバドルには合計3回訪問した。毎回、自家用飛行機で空港まで迎えに来てくれ、いつも副操縦席に座らしてくれた。眼下に渋滞している車列を観ながら数分で市内に着陸。そして、海辺の別荘に招待してくれた。日本にきた時には、S社関連会社御殿場コテージで、テニス合宿をしたり、平塚の自宅に招待したりした。世界のベスト・フレンドのひとり。
数年前、「S社パナマ支所創立40周年記念パーティー」が、ソニービル“銀座・マキシム・ド・パリ”であり、彼の強い要望で私も招待され久々に再会した。日本のS社のほか、中国や韓国企業ともビジネスを始め好調・順調、湖畔に新しい別荘を買ったとのこと。以前に増して貫禄・風格を感じた。一般エルサルバドル人のイメージと大きく異なり違和感を感じた。彼はこの混沌(カオス)の世界、激動の時代にも仕事にプライベートにたくましく、力強く生きているのは間違いない。近いうちに、また一段と大きくなった彼と会い、同国や本人の近況を聞きたいものだ。おわり

 

【ブラジルからの一通のメール】2018.10.31

 

 まず最初に懐かしい先輩の名前を聞いたのは、放友会・10月例会後ノ懇親会の席でした。ある会員が、私が元S社出身だとわかり、以前、取引き先関係でよく知っている懐かしい先輩の消息を尋ねられました。そして、心当たりのOBに問い合わせた結果、電話番号がわかり、早速、奥様に電話したところ、今年5月ご逝去されたと聞きました。(写真:約40年前訪問時)先輩は、テレビ関係のエンジニア、海外生産立ち上げでドイツ、フィリッピン、ブラジルに他赴任。数々のエピソードの持ち主、伝説の人でした。例えば、強盗に襲われながらも必死に抵抗、時計(友人から贈られた記念品)を守った、南米で深夜酔って軍事基地に迷い込み数名の兵士から銃をつきつけられたこと等々。豪放磊落、大胆不敵な風貌・風体から病気など無縁を思っていましたが、「癌」には勝てなかったようです。20数年ぶりに分かった消息は残念な結果で再会はかないませんでした。次に、同先輩の名前を聞いたのは2年前、JICAアルゼンチン事務所長からでした。先輩の娘さんの旦那、娘婿と聞いた時にはさすがにびっくりしました。まさに、「世間狭い、見えない糸でつながっている」を実感。上記経緯を早速メールした所、誠実かつ心温まる下記返事が届きました。地球の裏側と瞬時に連絡が取れるいい時代と人とのつながりの大切さ、ありがたさをかみしめています。(写真:当時のリオ・コパカバーナビーチ)
<記>

 

 「ご無沙汰しております。この度は、ご丁寧なメールとお気遣い有難うございました。私は、96年10月にポストオフになり、しばらくその後も特命事項の補佐役としてアルゼンチンにいたのですが、3月にいったん帰国しました。6月にサンパウロに再度赴任しましたが、私が日本にこの間、義父が亡くなりました。生前、一度義父に肥後様のことを知っているかと尋ねてみたことがありましたが、非常にクリアに覚えておりました。肥後様とはいろいろな思い出があった様子でした。また、その時は、既にすっかり隠居していましたので、いつまでも現役でご活躍されている肥後様を非常に羨ましく思っている様子も窺えました。(写真:所長出席のブエノスでの報告会)
 私もJICAでの南米生活が17年、学生時代も含めると18年になりました。すっかり南米の生活スタイルになり、日本が少し窮屈にも思えますが、残り少ない年数を有意義に過ごしたいと思います。しばらくは、サンパウロにいると思いますので、ブラジルにお越しの際は、どうぞお立ちより下さい。この度は、お心遣い本当に有難うございました。引き続きどうぞよろしくお願いします。」
図らずも、ブラジルでは極右で元軍人のジャイル・ボルソナロ氏(写真:右)が大統領に当選。過激な発言で”ブラジルのトランプ”と呼ばれている人物。今、同国は治安、経済、汚職等々難題が山積。今後、どう解決するか、その政治手腕は未知数。ブラシル在住・在勤のみなさまのご苦労がおもんばかれる、と同時に、世界中に”トランプ”だらけになり、どうなるか、不安が募ります。完

 

【絶望的なメキシコの治安状況」2018.10.24

 

【日本のパスポートが「世界最強」】2018.10.15

 

 先日、英コンサルティング会社「H&P」は、日本のパスポートがビザなしで渡航できる行き先数190カ国・地域となり、日本がシンガポールを抜いて単独一位,「世界最強」と公表した。同社代表は「この指数は単にパスポートの強さだけではなく、それぞれの国や地域が、いかにお互いにつながりあい、協調的な世界を構築しようと手を取り合っているかを示すものだ」とコメントしている。これで、「なぜ、中南米諸国だけではなく世界中で日本のパスポートが泥棒に最も狙われるか」が分かった。日本のパスポートがあれば、世界中の国々にビザなしで行けるからだ。逆に、日本人にとって盗難に遭わないよう十分に注意する必要がある。海外旅行中にパスポートをいれたカバンごと盗難や紛失に遭ってしまい、とても辛い思いをしたという苦労話をよく聞く。海外旅行中にパスポートを失くしてしまうと、その国の領事館や大使館でパスポートを再発行してもらうまで、日本へ帰ることもできない。現地の警察へ行ったり、申請書類を作ったりと、海外旅行どころではなくなってしまう。私は海外に行くときには、必ず「パスポートと航空券」は肌身離さず携帯している。日本出入国100回、いまだかって紛失したことはない。“日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の所管に要請する”とパスポートに銘記されている。これを機会に、各国のスタンプ一つ一つの思い出と感謝をこめてパスポートを整理した。公用旅券(外交官用)4冊を含め、小さな段ボール一杯になった。最後に、近い将来海外旅行を予定しておられる方へ、万一に備えて、以下アドバイス;
 @パスポートは肌身離さず携帯する。Aパスポートコピー・スペアの写真を持参する。B有効期限に注意(少なくとも3カ月以上余裕があること、国によっては期限が少ないと入国拒否の場合もある)。C有効期限が少ない場合、早めに更新しておく。“Un buen viaje”、“Have a nice trip”、“Bon voyage”、“いい旅を”  完

 

【なぜ、シリアにマテ茶?】2018.9.27

 

 今日の朝日新聞「特派員メモ」によると、記者はシリアの首都ダマスカス郊外で、警備の男性兵士にシニアで人気のマテ茶を飲まないかと誘われた。茶葉はアルゼンチン産。20世紀初頭にシリアから南米に渡った移民が茶葉を持ち帰り、健康に良く、リラックスの効果もあるとして広まったという。普段はピリピリする兵士たちも、先端に茶こしがついたストローで、緑の茶葉を飲むと、表情が緩む。”マテ茶は栄養が多いから、同じ緑のホウレン草を食べたポパイのように強くなれる ” と右腕の力こぶを見せて笑った。マテ茶は南米原産のイェルバ・マテの葉や小枝を乾燥させた茶葉に、熱湯(パラグアイやボリビアでは水)を注ぎ成分を浸出した飲料(いわゆるお茶)でビタミンやミネラルの含有量が極めて高く、飲むサラダとも言われている。このため、コーヒーや茶と同様の嗜好品ではあるが、単なる嗜好品の枠を超えて、野菜の栽培が困難な南米の一部の地域では重要な栄養摂取源の一つとなっている。アルゼンチンでは、工場や個人宅訪問した際、必ず用意される。一組の茶器を使い複数人がマテ茶を回し飲みする習慣がある。衛生観念の強い日本人の中には飲まない人が大勢いたが、私は大好きである。回し飲みでお互いの信頼関係、友情が強まると信じている。アルゼンチンに行った時は必ず茶葉2〜3袋を購入、日本で週一回程度のんでいる。貴重品なのでもったいなくて毎日は飲めないのである。(日本でも売っているが5〜6倍高いし、味がわからないため)自宅に茶器とストロー(ボンビーリャ)が数セットある。お土産にもらったものがほとんどだが、また、日本のお土産にもよく買って来た。アルゼンチンでは伝統的な茶器は、ひょうたんでできている。マテとは、現地の言葉でひょうたんを意味し、マテ茶の名前はこのカップに由来する。ひょうたん以外では牛の角や、パロサントという木で作られたものが一般的である。茶器の表面や補強のために付けられる口金、すわりを良くする為の台座には彫刻・彫金などの意匠が施される場合が多く工芸品的な美しさを持っている。茶器は陶器やガラス製のものも使われるが、多孔質の天然材料製でしばらく使った茶器でないと本来の味は出ないとされる。ボンビーリャの材料は古くは葦などの植物の茎を利用したが、現在は金属(銀・洋銀・ステンレスなど)のものがほとんどである。朝日新聞の記事を読んで、改めてマテ茶の効用・良さを再認識した。<おわり>

 

【コフィ・アナン氏死去(元事務総長80歳)】2018.8.18

 

また、ゆかりのある人が逝った。ガーナ出身のアナン氏は、黒人で初めて一線の職員からトップに上り詰め、事務総長を2期務めた。
2001年には国連改革と人権保護への貢献が評価され、国連とともにノーベル平和賞を受賞。03年に始まった米国主導のイラク攻撃には一貫して反対した。2006年12月に国連事務総長を引退した。アナンはその際スピーチで近年の国連を無視するアメリカの覇権主義的行動を批判し、アメリカが国連を重視した多国間主義に回帰することを望む声明を発表した。米大統領経験者らも相次いでアナン氏に賛辞を贈った。ブッシュ(子)元大統領がアナン氏について「穏やかな人柄で、国連の精力的なリーダーだった」と振り返ったほか、前大統領のオバマ氏も「国連の使命を体現した外交官であり、そして人道主義者だった」と語った。2006年2月〜2007年10月、「JICA案件・ガーナ地場産業活性化プロジェクト」で現地にいた時、一般のガーナ人にとってアナン氏は現大統領より人気があったのを改めて思い出した。

 

 

【台北生まれ変わる「昭和町」】2018.8.7

 

過日、朝日新聞朝刊に標題の記事が目に止まった。"日本が台湾を植民地統治した頃、台北に「昭和町」と呼ばれた地区があった。今、古い日本家屋が次々と改修され、茶館や画廊などに生まれ変わって、日本からの観光客が押し寄せている"という。
 随分前に亡くなった私の父は、国鉄、満州鉄道と同じ台湾鉄道の職員だった。1947年日本に引き上げるまで台北駅に近い建成町という「日本人街」で暮らしていた。私も「湾生」と呼ばれる台湾生まれだ。近隣の青田街や温州街一帯は確か「昭和町」と呼ばれていた。内地から来た教育、警察関係者や総督府の官吏らの住居となっていた。約40年前、S社現役時代、代理店の年配台湾人に以前住んでいた日本人街に連れて行ってもらったことがあった。私が生まれ幼年時代を過ごした思い出の官舎は、さすがに古びて朽ち果て、人が住んでいる気配はなかったが、昔のままに残っていた。それが今回紹介された、改修され新しく蘇った「昭和町」であると思われる。当時の震える感動を思い出した。幼いころ暮らした台北の家が新しい時代に生まれ変わり感無量である。3年前、旅行した際は訪問する機会がなかったが、今度改めて訪れてみたいと思う。(3年前の写真)

 

 

【香港返還21周年記念日】2018.7.3

 

香港は1997年7月1日にイギリスから中国に返還され、今年のこの日、【香港返還後21年】となった。私が最初に香港に降りたのは返還直前の1996年3月。当時、飛行場は市内にあり、キャセイ・パシフィックの翼がビルに当たるのではないかと、はらはらしながらに離発着した記憶がある。返還後、2015年4月と2016年4月、仕事で再訪した。現在、飛行場はランタオ島に移転、市内と高速道路で貫通、渋滞はない。街には高層ビルが林立。看板は昔みな英語だったが、ほんとんど広東語か中国語に変更。当時、「売り手市場」でホテルやレストラン、店などのサービスは最低。今はその反省からか、「顧客満足度」は大分向上していた。ただ、毎年7月1日、開催される反中デモの参加者は4年前の1/10に減り、若者の関心が急低下している。香港政権は舵取りに苦悩しているようだ。

 

 

【World Soccer 2018 Russia】2018.6.30

 

私の第2の国、アルゼンチンが決勝トーナメント 1回戦、フランスに4−3で敗れた。ともにW杯の優勝経験がある好カードのアルゼンチンとフランスの対決は、エース番号を背負う新旧スター選手のプレーが勝負を決めた。際立ったのは、フランスの19歳の「10番」。スピードスターのエムバペだった。
他方、アルゼンチンの10番、メッシは守備から解放され、攻撃専念を任された。しかし、ゴール近くにいれば、マークは厳しくなり、スペースもない。最前線に残るほど、31歳は孤立した。ボールが渡らず、時間が経過していった。ゴールを決められずに終わった。2大会連続で平均年齢が高かったアルゼンチンに、若いフランスが引導を渡す勝利。2011年7月 コルドバで観戦した『COPA AMERICA 2011』優勝し輝いていたメッシュ,熱狂・熱気に溢れていたスタジアムが懐かしい。もう一つの国、日本に期待!?

 

【「ラテンは私のお気に入り」】2018.6.15

 

ラテン音楽の輝かしい歴史、日本ではラテン音楽の代名詞でもある【トリオ・ロス・パンチョス(TRIO LOS PANCHOS)】BEST OF BEST。メキシコ人のアルフレッド・ヒル と、チューチョ・ナバロ、プエルトリコ人のエルナンド・アビレス によって、1944年に結成されたラテン音楽の楽団である。メキシコをはじめとする中南米諸国のみならず、アメリカ合衆国のスペイン語話者の絶大なる人気を得ている。中でも私の最も好きな「シェリト・リンド(CIELITOLINDO)美しい空・天国」メキシコ国歌よりも、この国を代表する、愛されている民謡。知っている人、懐かしく思い出す人もいると思うのでそのさわりをご試聴下さい。完

 

【フロンテラ(カベルネ・ソーヴィニョン)ワインフレシュサーバー】2018.6.8

 

長年、晩酌には「チリ赤ワイン・フロンテラ(カベルネ・ソーヴィニョン)」辛口、渋み・ミドル、味の厚み・フルボデイを愛飲。ベリー系のフレッシュな黒い果実、ミントと若干の青みを感じるアロマ。きめ細やかで熟したタンニン、そしてカベルネらしい骨格があり、バランスがよいため飲み疲れしないワイン。製造元・チリNo.1ワイナリー・コンチャ・イ・トロ。この度、ワインフレシュサーバー品を入手。フロンテラ750ml(¥560)が4本分入った(3,000ml)バッグ・イン・ボックス(\2,786)。開けてからでも約1ヵ月はおいしく飲める、飲みたいときに気軽に注げる本格ワイン。箱の中はワイン入りの特製バッグ。ワインを空気から守ることで開けたてのおいしさを約1ヵ月保持。開けてからも、美味しさが長持ち!コスパ抜群。ワイン愛飲家にお勧め!完